先週のことである。
帰り支度をしていた時、日本人の同僚が、
何やら書類を片手にうろうろしている。
聞けば、登記局に出す書類にサインをし、
それを会計事務所へ送ろうとしていた。
「へ?なんで俺が知らないの?」と思った。
法務関係の業務は全て自分が管理している。
聞けば、会計事務所の人からサインお願いします
ってメールが来たんです、と同僚は言う。
書類を確認すると、年次報告書だった。
なぜ、彼にサインを依頼したのかは不明だが、
これは社長の署名が必要な書類だ。
コーヒーカップ事件ふたたび、ではないが、
自分を素通りされた、無視された、と、
僕の中で大きな怒りが込み上げて来た。
早速会計事務所の代表に、メールで、
なんで自分に依頼しないのかと文句を言った。
それから、担当者には直接電話をし、
今後、サインを要するすべての書類は、
僕に依頼するよう、きつい口調の広東語で
まくし立てた。
僕の過剰なまでの反応に恐れをなしたのか、
会計事務所の代表が、以後気を付けます、
といった内容のメールを返してきた。
帰りのバスの中でも、怒りは収まらなかった。
この時の僕は、完全に神から離れていた。
愛だけを放っている存在、でもなくなっている。
しかし、
湧いてくるものは湧いてくる、どうしようもない。
しばし、思い切り、腹立つーっ、ムカつくーっ、
を、放出しているしかなかった。
ただ、
絶対に自分を責めないことだけを優先した。
バスが家の近くに着いた。
モヤモヤは続く。このまま帰宅したくなかった。
気持ちをリセットする場の転換が必要だ、と思った。
ふと前方に、行きつけのマッサージ店が目に留まり
そうだ、足の裏の角質取りをしてもらおう、
と思いたち、立ち寄ることにした。
👆 女性は男の足の爪を切ってはいけないならわし
足の裏の角質を、ヘラでそぎ落としてもらいながら、
モヤモヤと湧き立つ怒りへの抵抗を止め、
今、この瞬間に在る平安に委ねるようと努めた。
会計事務所の担当者も、日本人の同僚も、
自分をないがしろにしようなんて思っていない。
以前にも書いたとおり、情報不足がもとで、
僕は勝手に〝逆恨み〟をしていただけだ。
コーヒーカップ事件と言い、タメ口事件と言い、
どうしていつも自分は、大切に扱われていない、
と思い込んでしまうのか、原因は僕の内側にある。
これはまた、自分は神から大切に扱われていない、
と、思っていることの象徴でもある。
感じてしまっている状態で、赦しだ、なんだ、と、
何をしても無駄なのは分かっているので、
先ずは、もう、ここで、呼吸だけしている。
よくよく考えてみれば、
みんな僕に優しく接してくれている。
誰も僕に何かしよう、なんて思っていない。
なのに、僕は、その大きな愛の部分を見ずに、
小さな小さな黒い点だけにフォーカスして、
その中に、自分が怖がっているものを見ている。
その黒い点以外は全て愛と歓びなのに…。
点から離れ、周囲の人たちの愛にフォーカスする。
足の裏の角質がそぎ落とされる感覚が戻ってくる。
静かなフロア、やっと、今の喜びが戻ってきた。
小さな黒点から目を反らせば、
そこには喜びしかなかった。