今日は朝から、深圳との国境付近にある
辺境の村に住む友人宅を訪ねた。
ずっと都会の真ん中で生活しているせいか
この連休は田舎に行きたい、と思っていた。
友人一家は、
3階建ての一軒家に住んでおり、
この土地は、丁権と呼ばれる政策によって、
〝新界現居民〟と言われる香港の原住民
だけに使用が認められている。
ただ、この丁権は養子などではない直系の
男子しか継承することができず、
もし、子供が全員女だった場合は、
土地を全て政府に返さねばならない。
👆 村で唯一の店
友人の家を訪れるのはまさに12年振りだ。
昔は、辺り一帯全て田園だったのに、
今回訪ねてみると、周囲には家が林立し、
みんな賃貸として貸し出しているという。
まあ、香港で庭付き一戸建てなんて、
羨ましい限りなのだが、ここまで田舎だと、
通勤も大変だし、買い物も不便極まりない。
それで、将来、小説に専心する際には、
友人の家の二階を借りる約束をした。
友人のお母さんが作ってくださった
お昼ご飯を食べた後、村を散策して回った。
途中、小さな貯水池に続く山道があり、
行ってみることにした。
村には至る所、野生のバナナやパパイヤ、
レモンやドラゴンフルーツの木があり、
用水路には、
メダカやオタマジャクシが泳いでいた。
そんなに暑くもなく、蚊にも噛まれなかった。
太陽の光も、草の匂いも、風も心地いい。
野花の周りをアゲハやモン白蝶が舞い、
ススキの間を赤とんぼが飛び交っている。
ずっと家に籠っていたので、
自然に触れ、すごく身体が喜んでいる。
友人とおしゃべりしながら歩くのも楽しく、
もう、歩いても歩いても全く疲れない。
川のせせらぎの音、草いきれ、友人の声、
と、一匹のカナブンが僕の肩にとまり、
そのままにしていると、また飛んでいった。
そうやって、
今、ここに在る神を感じながら歩く。
すると突然、
神を感じている自分など存在しておらず、
ここに在る神、それ自身が真の自分だった、
という深い気づきに包まれた。
ああ、自分こそが、
この神の流れそのものだったんだ、
本当の自分は、感じている側ではなく、
その〝感じ〟それ自体だった、と、
大きな悦びが湧いてきて泣きそうになった。
神に気づこう、とか、赦して神へ帰る、とか、
ハートの悦を感じようとしている私ではなく、
はなから自分は、神と同じものであり、
天国のエクスタシーそれ自体が真の私だ。
うまく説明できないが、
感じている側の私ではなく、
感じ〝それ〟そのものが私なのだ。
夕方の遅い時間に、アパートへ戻ってきた。
しばし、夕闇迫る暗い部屋の中に、
悦びそのものとなって、静かに佇んでいた。