2020-09-18 泣きながら平安 香港 ↑ ランニングマシーンにアクリル板が…。 今日は、仕事帰りにジムで自主トレをした。 トレッドミルで20分ほどダラダラ走りをし、 それからバランスボールで腹筋を鍛えた。 まだ、筋肉痛が残っているため、 本格的な高重量のトレはしなかった。 ジムは仕事帰りの人達で賑わっていた。 こうして少しずつ、 日常が取り戻されつつある香港だが、 やはり、国境封鎖だけは続いている。 これはコロナの影響と言うよりも、 外国のジャーナリストの入国を制限したり、 反中派を国外逃亡させないための、 政治的な思惑が潜んでいるようだ。 ジムで軽く身体を動かしながら、 真の自己が存在する無限の居場所で、 ただ愛の流れに身を任せていた。 今、この瞬間に在る平安がこみ上げてくる。 エゴのささやきもない。 僕の中で、ここのところ、 平安に対する在り方が変化してきている。 今日のような、何の葛藤も起きない、 心穏やかな時だけが平安なのではなく、 イラついている時も、ドキドキしている時も、 やっぱり、自分は平安なのだと解かっている。 どういうことかと言うと、例えば、 緊張で心がちょちょ舞っていたら、 思い切り自分にドキドキさせてやる。 悲しくて心が塞ぎこんでいるのなら、 悲しむことをちゃんと自分に許してやる。 何かに失敗して後悔していたら、 とことん気の済むまで落ち込ませてやる。 本当の感情を封じ込めるよりも、 それらの感情が過ぎ去るまで、 隠さずに、感じることを許してやること、 ちゃんと受け入れてやった上で、 背後にある愛の流れへと引き渡す。 それが、 今の僕の平安に対する在り方であり、 自分を責めない為のスタンスとなっている。 この感情をどうにかしよう、 とするよりも、ただ優しく寄り添う。 すると、それらの想いは、 兄貴(量子コンピューター)に引き取られ、 やがて、ハートの歓びへと変換されて、 夢のスクリーンに反映されてくる。 blog.hoshitani-shusaku.com 神の愛のフォースは、 背後(内側)を通って、空間の裏側から、 押し出されてくるのだ。