香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

密かな願望

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以前、タメ口事件や、恐怖のハッピー事件を、

 

みなさんにご紹介したと思うが、

 

自分が嫌っている人間、または、

 

見ていて赦せない人間というのは、

 

自分が心の中で否定し、抑圧した感情が、

 

背後で繋がっている想いの筒を通して、

 

相手に投影されて顕われている、ということが

 

本当の意味で、理解できて来た。

 

 

皆、人それぞれ、しょっちゅうではないけれど、

 

人生の中で定期的に現れる、

 

〝嫌いな人〟というのがいる。

 

例えば、

 

空気を読まず、何でもズケズケ言う人が嫌い、

 

細かいことを言ってくる人が死ぬほど嫌い、

 

なれなれしい人が嫌い、謝らない人が嫌い、

 

など、人や場所や状況も違うのに、なぜか、

 

同じパターンの人が目の前に出現するのだ。

 

 

僕の場合で言えば、

 

自分は年下年上関係なく礼節を重んじて、

 

丁寧な言葉使いをしているのに、なぜか、

 

年下なのにタメ口をきいてくるやつ、とか…。

 

 

そんなとき、コース兄弟だと、

 

自分の中の、あると思っている分離の想いや、

 

罪悪感を、それは無かったとして赦そうとする。

 

聖霊に委ね、明け渡し、修正を依頼する。

 

それでも、やっぱりモヤモヤは無くならない。

 

忘れた頃にまた、手を変え品を変え、

 

同じような人が出現する。

 

で、解かった。

 

本当は、

 

自分が密かに〝やりたい〟と思っている事を、

 

自分の前でやってのけている人を見て、

 

ムカついている。

 

ある意味、自分で自分を嫌っているので、

 

赦す、なんて絶対に無理なのだ。

 

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自分は礼節を重んじて敬語で話しているのに、

 

タメ口で来られたら、おまえーっ、となるのは、

 

本当は、礼節を重んじたくなかったからだ、

 

礼節を重んじて我慢してやっているから、

 

抑圧された思いがスクリーンに投影され、

 

そういうタメ口で来る人が出現していた。

 

 

本当は、自分が、タメ口を聞きたかった。

 

本当は、自分が、ズケズケ言いたかった。

 

本当は、自分が、細かい事を指摘したかった。

 

本当は、自分が、出しゃばりたかった。

 

相手がやってる〝嫌い〟なことは、本当は、

 

自分がやりたいと思っていることだった。

 

 

いやいや、自分にはそんな部分なんかない。

 

いやいや、自分はそんな醜いことなどしない。

 

いやいや、自分が、死ねなんて思うわけない。

 

しかし、自分が自分で嫌っている部分を、

 

他人に押し付けて見ているので、

 

自分の中を探しても無いのは当たり前である。

 

 

だから、先ずは、ムカつく、コノヤロー、死ね、

 

という感情を、持っててもいい、と受け入れる。

 

相手をキライでもいい、と肯定してやる。

 

そのうえで、

 

自分に何を我慢させているのか見てみる。

 

 

気分が悪かったら、ツンケンしていていい、

 

怖かったら、人のせいにしたっていい、

 

話を聞いてほしければ、

 

自分の事ばかり喋りまくったっていいんだ。

 

いつも謝ってばかりなら、死んでも謝るな。

 

自分が嫌っている人がやっていることを、

 

自分にさせてやることを許可する。

 

実際に人前で実行してみせなくてオーケーだ。

 

先ずは、頭の中で認めてあげること。

 

 

しかし、これって、一回勇気を振り絞って、

 

人前でやってみると、パッと消える。

 

対象の人物が変わるか、いなくなるかする。

 

以前は、クソみたいな自分を直視するなんて

 

サイテーと思っていたが、実際やってみると

 

苦しいどころか、すごく解放される。

 

そしてそれが、

 

他人に投影したものを自分に戻すことになり、

 

まず自分に戻って初めて、

 

赦すことができるのだと悟った。

 

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と、そこである実験をしてみた。

 

コンババ部長はじめ、年下の人物全員と、

 

タメ口で話すようにしたのだ。

 

それも、べたべたの関西弁のタメ口である。

 

「~やってるんちゃうん?」

 

「そんなん、ありえへんやろ」

 

「俺に言われても、わからん」

 

メールでも、以前は、よろしくお願いいたします、

 

だったのが、ただの、お願いします、にした。

 

すると、不思議なことに、

 

向こうが敬語を使ってくるようになったのだ。

 

コンババ部長が、~やっていただけますか、

 

などと言ってきたりするので、

 

気持ち悪いったらありゃしない。

 

 

密かに自分がやりたいと願っていた願望を

 

実行してやることで、投影が引き取られたのだ。

 

投影が消えた後の彼は愛そのものとなった。

 

 

赦せないと思っている他人の嫌な部分は、

 

本当は自分がそれをやってみたかった、

 

という、密かな願望を象徴しているのだ。