愛している、が止まらない。
〝ここ〟が自分の心の反映そのものなんだ
と腑に落ちると、見えているもの全てに、
愛してる、という想いが込み上げて来て、
テーブルや、ソファや、グラスを撫でながら、
大好きだよ、と心の中で呟いてまわる。
道行く人々にも、
心の中で、愛してるを連発する。
するとまた、背後が愛で満たされてゆく。
面白いのは、こみあげてくる想いが、
〝ありがとう〟ではなく、
〝愛している〟という点だ。
感謝というより、やはり、愛、なのだ。
まるで神が歌を歌っているみたい。
まあ、江後田自我男から見れば、
大の男が、家具を撫でながら、
愛してる、と呟いてまわるなんて、
気持ち悪くて、ドン引きしてしまうが、
自分的には、やっと正気に戻ってきたな、
という感覚でいる。
だから、兄弟達にも、自分の中から湧き出る
小さな小さな愛してる、に気づいて、
それを大切にしてほしいと思っている。
それが神の流れに乗ることであり、
背後で生きる、ということの意味である。
それにしても、
独り暮らしで本当によかったと思う。
よく考えてみれば、こういう内的な変革って
誰にも邪魔されない一人の空間で起こる。
例えば、ものすごい怒りに震えたとき、
大声で罵りながら、枕を叩きまくることで、
怒り👉本当は愛されたかった👉愛やん、と
怒りが愛に変革を起こしたりする。
これが、家族と同居だったりすると、
どうしても自分の感情を押さえてしまう。

