香港さんといっしょ! 純粋非二元を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ジガオのささやき

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愛している、が止まらない。

 

〝ここ〟が自分の心の反映そのものなんだ

 

と腑に落ちると、見えているもの全てに、

 

愛してる、という想いが込み上げて来て、

 

テーブルや、ソファや、グラスを撫でながら、

 

大好きだよ、と心の中で呟いてまわる。

 

道行く人々にも、

 

心の中で、愛してるを連発する。

 

するとまた、背後が愛で満たされてゆく。

 

 

面白いのは、こみあげてくる想いが、

 

〝ありがとう〟ではなく、

 

〝愛している〟という点だ。

 

感謝というより、やはり、愛、なのだ。

 

まるで神が歌を歌っているみたい。

 

 

まあ、江後田自我男から見れば、

 

大の男が、家具を撫でながら、

 

愛してる、と呟いてまわるなんて、

 

気持ち悪くて、ドン引きしてしまうが、

 

自分的には、やっと正気に戻ってきたな、

 

という感覚でいる。

 

 

だから、兄弟達にも、自分の中から湧き出る

 

小さな小さな愛してる、に気づいて、

 

それを大切にしてほしいと思っている。

 

それが神の流れに乗ることであり、

 

背後で生きる、ということの意味である。

 

 

それにしても、

 

独り暮らしで本当によかったと思う。

 

よく考えてみれば、こういう内的な変革って

 

誰にも邪魔されない一人の空間で起こる。

 

例えば、ものすごい怒りに震えたとき、

 

大声で罵りながら、枕を叩きまくることで、

 

怒り👉本当は愛されたかった👉愛やん、と

 

怒りが愛に変革を起こしたりする。

 

これが、家族と同居だったりすると、

 

どうしても自分の感情を押さえてしまう。

 

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愛って、究極の自己肯定感なのだと思う。

 

腹立つーっ、妬ましいーっ、死ねーっ、

 

といった自分の中のネガティブな感情さえも

 

認め、肯定して、受け入れてやった時、

 

それらは愛へと昇華されるのだ。

 

 

 

まあ、これが二極化というやつなのか、

 

向かい合う前方の空間だけで生きる組と、

 

背後の無限の全体だけで生きる組が、

 

どんどん乖離して行っている気がする。

 

僕も、夏至から秋分にかけ、

 

一気に内側(背後側)がリアルになった。

 

それはもう、ものすごい勢いで、

 

後ろへと吸引されていっている感じである。

 

 

こうなってくると、

 

夢の現実である空間世界も、

 

優しく、穏やかなものに差し替えられてくる。

 

まあ、内側の自分を完全肯定し、

 

背後を愛で満たしているのだから、

 

それらが、ドーナツ状の筒を通って、

 

現実のスクリーンへ反映されてくるのは

 

当然と言えば当然である。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

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江後田自我男の囁きも、

 

「また、ジガオがなんか言ってる。うざっ」

 

という感じで、その度に、背後へ戻るための

 

合図として利用するようになると、

 

僕の場合は、数年前からそうなのだが、

 

その人やその出来事自体が愛に変わるか

 

自分の世界から消えていなくなるか、

 

もしくは、自分の見え方が変わる。