今日は、
10時から16時までの時短勤務であった。
香港では明日から、夜の9時まで、
飲食店の営業(店内飲食)がOKとなる。
行きつけのバーは再開するのかなあ?
あした、ちょっと寄ってみようっと。
で、今日出社したら、僕の机の上に、
日本のアマゾンから小包が届いていた。
小包の中身は、
ダニ取りシートと、クイックルワイパーと、
先日、読者の方から紹介していただいた、
アニータ・ムアジャーニ氏の本2冊だった。
それから僕は、明日の午後に行なわれる、
リモート会議の資料作りを始めた。
明日の会議では、僕が主幹となって、
フィリピン工場の財務状況について、
得意先役員に報告することになっていた。
もう、ここでも何度も書いているのだが、
大勢いる会議の席で何かを発表する際、
僕はなぜか、大きな恐れを感じてしまう。
これが、スピ兄弟のリトリートとかなら、
いくらでも話せるのに、会社の会議だと、
しくじってはいけない、恥をかきたくない、
糾弾されたくない、という想いが強く出て、
とても緊張してしまうのだ。
実際には糾弾する人など誰もいないのに、
たとえ、会議で何かやっちゃったとしても、
誰も何とも思っていないのに、どうして
こんなにドキドキするのだろうと思いながら、
この日も資料作りに没頭していた。
昼休みになり、僕はアニータの著書、
『もしここが天国だったら?』を読み始めた。
著者の優しく愛に満ちた言葉が、
僕の心に染み込んでくるような良書だ。
それに、香港出身である彼女が書いた、
臨死体験後にガンを克服したこの本は、
当時、香港でも話題になってはいたが、
「まあ、よくある臨死体験記かなあ…」
と思い、当時の僕は興味を示さなかった。
本書は、有色人種であるインド人の彼女が
英国系インタースクールで受けた、
壮絶なイジメの話から始まる。
そして、その当時、
彼女が感じていた自己否定感は、
いじめっ子たちが抱いていた恐れが、
自分に投影されていただけであり、
自分が本当にそういう存在だったのではなく
ただそう思い込まされていただけだった。
そして、本当の自分は、何もしなくても、
そのままで愛されている存在であった、
というくだりを読んでいたとき、突然、
僕の中学生時代の光景がよみがえり、
それから、涙がわっと込み上げて来た。
中学何年の時の事かは思い出せない。
放課後、階段の掃除当番だった僕は、
掃除を終え、点検の先生を待つ間、
踊り場で同級生たちと相撲を取っていた。
幾人かでギャーギャーワーワー言いながら
相撲を取っていると、突然、上の方から、
「おまえ、気持ち悪いんじゃ!」
という怒鳴り声が聞こえて来た。
振り返ると、階段の上段に座っていた、
ハッピーというニックネームの男子が、
狐のような目で僕を睨みつけていた。
当時の記憶はとても曖昧なのだが、
呆然と立ち尽くす僕に向かって彼は、
「へらへらなよなよしやがって、死ね!」
みたいなことを言っていたように思う。
バスケ部のエースである彼は、
当時、クラスの中でとても人気があり、
クールで無口で滅多に笑わないのに、
なぜかニックネームはハッピーなのだった。
そんな、絶対的正統派である彼から、突然、
大勢の前で罵声を浴びせられた僕は、
どうしていいかわからず、とっさに、
「ハッピーに嫌われちゃったよ」
と、さらにへらへらしながら言ってしまい、
余計にハッピーの反感を買ってしまった。
ああ、これかあ、と思った。
僕が、こんなにも大勢の前で、
理由もなく糾弾されることを恐れるのは、
中学時代のこの出来事に起因していたんだ
ということに気づいたのだ。
いつも昼休みにするように、
チェアの背もたれを倒して体を横たえ、
並べた丸椅子の上に足を載せて、
ブランケットを被り、瞑想状態に入った。
目を閉じ、中学生だった自分に語りかける。
みんなの前であんなことを言われれば、
誰だって傷つくし、悲しむのは当然だよ。
だから、君は何ひとつ悪くない。
君は誰かの一言を真に受けただけだ。
君はすでに完ぺきに愛されている。
愛してるよ、大丈夫だから、安心しろよ。
学ランを着た中学生の自分を抱きしめ、
大丈夫だから、を繰り返す。
中学生の自分が一瞬ぱっと光って消えた。
と、いきなりその奥からハッピーが現れ、
親指を立てて、僕に頷いたかと思うと、
なぜか〝おっつかれまでしたあーっ!〟
と満面の笑みで叫び、そのまま、
手を振りながら消えていってしまった。
昼休みが終わった。
日本人の同僚が昼食から戻ってきた。
〝アニータ、す、す、すげぇーっ!〟
と叫びながら、僕はトイレへ立った。
こうした僕の、
スピ系的奇行に慣れている彼は、
即行僕を無視してパソコンを打ち始めた。
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