👆 ドンキで日本のお酒を買ってきた
果汁45%でプリン体ゼロで糖類無添加
日本のお酒は世界一進化してると思う
今日は土曜日。家から一歩も出なかった。
今日も昼過ぎから部屋の掃除を行なった。
今では、手の届かないタイルの壁の上の方まで
専用のモップで拭く始末で、
かなり、掃除にも年季が入ってきている。
なんか、自分の心の中を掃除しているようで、
やっていて、なんとも清々しい気分になる。
オレ、ひょっとして、
チョイ姐より掃除上手いかも…。(ドヤ顔)
夜は冷凍のステーキを焼いて食べた。
本当はジムで自主トレをしようと思っていたが、
瞑想するうち、その延長で爆睡してしまった。
以前の自分だったら、時間を無駄にした感が
半端なかったのに、今はもう、全てオーケー、
自分のやる事、成す事、それでよくなっている。
僕は、
自分を〝赦す〟にはまず、
自分を〝許す〟ことが必要だ、と思っている。
自分にちゃんと許可が下りていないのに、
それは自分の考えではなく、実在ではない、と、
様々な葛藤を赦していくことなど不可能だと…。
ジガオに100%乗っ取られている状態から、
いきなり100%神へ振り切ろうとすると、
そのギャップから余計にジガオの声が増し、
本当は、
ジガオはそんなことなどしていないのに、
まるで、ジガオに逆襲されているように感じる。
なので、神へと向かう前に、
まずは、外に感じていた意識を自分に戻す、
ということが重要になってくる。
とにかく、我に返ることが先決だ。
決断の主体なんちゃらで聖霊を選びなおし…、
なんて、とりあえずは考えなくていい。
不安や怒りでちょちょ舞ってるときに、
そんなの絶対無理だから…。
では、自分を許す、自分に許可を出す、
とはどういうことかというと、
自分に優しくしてあげることである。
どんなことがあっても自分を責めない、
自分の言動、考え、全てにオーケーを出す。
これは仕方なかったんだよ、とか、感謝、とか、
自分を納得させるような解釈も要らない。
無条件に自分の頭の中で感じていることを
ただただ受け入れてやること。
醜いことを思っている自分に許可を出し、
どんなにわがままな自分をも肯定し、
ヘタレでポンコツな自分でも全然オーケー、
と、どこまでも自分に寄り添ってやる。
それは、兄貴と全く同じスタンスだと言える。
自分に対してどう思っているかが、
現実となってこの空間に顕れてくるので、
自分の心の中が優しさで満たされてゆけば、
現実の絵も優しくなるのは当然である。
コーヒーカップ事件のとき、
僕は確かに、くだらないことで腹を立てた。
しかし、そんな自分をダメだ、と否定しなかった。
腹を立てることをちゃんと自分に許可したのだ。
結果、癒された思いは赦され、消えていった。
赦しとは、
受け入れ、許可を出してやることから始まる。