香港さんといっしょ! 純粋非二元を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ストップ!自分責め!

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👆 ドンキに積まれたカプリコの山

  香港でカプリコが買える日が来るなんて…

 

昨日も書いたが、

 

今、この瞬間に在る神に抵抗するのを止め、

 

今、ここに存在するままの自分でOKだ、と

 

どんな自我の囁きが聞こえてきても無視して

 

ハートのエクスタシーの流れに任せていると

 

〝人を非難する〟

 

ということが無くなってしまった。

 

 

事件を起こし、テレビで非難されている人、

 

上手く立ち回って責任逃れをしている人、

 

何でそんな事を言われなきゃならないんだ、

 

と言い返したくなるような理不尽な攻撃など

 

普段の日常生活の中で「なんだコイツ」と

 

言いたくなるような人たちに遭遇して、

 

実際、なんだコイツ、と思ったとしても、

 

結局のところ、最後は、

 

「ああもう、この人のそういうところが好き!」

 

「やっぱりそれでいいよ。オーケー、オーケー」

 

「あははー、ウケるーっ!」

 

に行きついてしまう。

 

 

そこで気づいたのが、

 

自分の心の中が愛で満ちていると、

 

人を非難する気持ちが湧かない、

 

ということである。

 

自分のことをちゃんと愛して、

 

自分に優しく寄り添ってやれていると、

 

人のことも愛で観れるようになるのだ。

 

  

逆に言えば、

 

自分を十分に愛していない状態、つまり、

 

様々なことで自分を責めている状態では、

 

他者を愛として観たり、赦したりすることなど、

 

絶対に不可能だ、ということである。

 

 

これはある意味、

 

「わたしは決して自分を愛しませんっ!」

 

と自分で宣言していながら、

 

「聖霊に委ねます、私は何もしません。

 

   兄弟を愛で見れるようにしてください」

 

と言っているようなものである。

 

自分を責め、ないがしろにしているのに、

 

そんな自分はいません、聖霊兄貴に委ねます、

 

と言っているのと同じで、兄貴にしてみれば、

 

それって、ぜんぜん委ねてないじゃん」

 

という話である。

 

 

なので、先ずは、兄弟を愛で云々、の前に、

 

自分を愛することが先決だ、と思うのだ。

 

なぜなら、他人を責めるのはよくない、

 

という想いの裏返しで自分を責めているので、

 

自分責めをしなくなれば、自分の中が癒され、

 

自然と他者の中に、

 

自分の愛の反映が顕われてくる。

  

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「何でこんなことを言われなきゃいけないんだ!」

 👉 おまえは正しい。ムカつくのは当然だよ

 

 

「俺、また、緊張して不安感で一杯になってる」

 👉 緊張して何が悪い。俺は俺だ。

   まずはコーヒーでも飲んで落ち着こう。

 

 

「あの人に比べてわたしは…」

 👉 ダメならダメで結構、人と比べて、

      自分を決める、なんて卑しい事はしない!

 

 

こんな感じで、頭の中で寄り添うだけでもいい。

 

どんなことがあっても、どんな手を使っても、

 

自分を責めない、と決心すること。

 

本来自分の中に在る愛の流れに気づくために

 

自分(聖なる自分)を、きちんと愛してやるのだ。

 

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