一昨日も書いたが、大澳(TAI O)では、
アフタヌーンティーができなかったので、
代わりに今日、数人の友人たちと、
マリオットのティービュッフェに行ってきた。
本当はリッツカールトンへ行きたかったのだが、
半ズボンの友人がいて入場できず、
結局、マリオットになった。
しかし、年のせいか、あまり量が入らない。
少しの量でお腹がいっぱいになってしまう。
それで、夜になると、
あの時もっと食べておけばと後悔するのだ。
この重陽節の連休は、一言で言って、
〝泣きの連休〟となっている。
瞑想しては、父を感じて涙がこみ上げ、
映画やドラマのちょっとしたシーンに号泣し、
猫が歩いているのを見ただけで、ううっ、とくる。
背後の〝無限の全体〟に開いた状態で
通りを歩いたりするともうだめで、
誰を見ても、愛おしさが込み上げてくる。
また、不思議なことに、
自分側(背後側)へ入れば入るほど、逆に、
個の自分や肉体の他者が消える。
自然に、彼らは実在ではないと解かるのだ。
完璧な愛の存在である自分や誰々さんは、
無限の全体として背後側に存在していて、
その背後へ深く入れば入るほど、
本当の自分や他者を感じて、その愛が、
現実のベールの裏側から浮き出てくるのだ。
なので、一見、
目の前の何かに反応しているように見えるが、
目の前の誰々さんとは何の関係もない。
とまあ、そんな感じで、
〝今、この瞬間に開いて、抵抗せず、
今、起こっていることを許容し、
神の愛が流れるに任せる〟
の中に没入しながら、この休暇を過ごしている。
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