☝ 双子の兄弟?
今日起床したのはなんと、午後2時半であった。
昨夜床に就いたのが午前2時半だったから、
まるまる12時間眠っていたことになる。
朝、10時ごろに一回トイレへ行き、
そろそろ起きないとせっかくの休日が無駄になる
と、自分にダメ出しをしつつも、今の自分が、
眠ることに幸せを感じているのであれば、
このまま好きなだけ眠らせてやろう、と、
自分の想いに寄り添うことにした。
僕は一人暮らしなので、いつまで寝てるのよ、
と言ってくるようなパートナーもいないし、
思う存分爆睡を楽しむことができた。
ああ、気持ちよかったあ。
今日(土曜日)はどこへも出かけなかった。
食事もフードデリバリーを頼んだ。
昨日のように、普段と全く違う環境に身を置き、
全く違う空気を楽しむのも素晴らしいが、
のんびり家でリラックスして過ごすのもまた、
ほんとうに気分がいい。
そうそう、昨日、大澳へ出かけて思ったのは、
例えば、仕事で煮詰まっていたり、
家事や育児でイライラしていたり、
人間関係でのトラブルでモヤモヤしている時は、
普段の環境と真逆の場所に身を置くのも手だ、
ということである。
やはり、
目の前にやるべきことが目白押しの状態で、
神へ意識を向けたり、抵抗を止めるのは
難しいので、一旦、その場から離れ、
全く違う環境に、しばしの間身を置いてみる。
例えば、田舎暮らしの人なら逆に、
都会の喧騒の中に身を置いてみるとか、
家事や育児に疲れている人なら、
近所ではない、遠く離れた静かなカフェで、
ひとりぼーっとしてみるとか、
人間関係で悩んでいる人であれば、
まったく生き方の違う人と敢えて食事する、
といったことをやってみると、
〝どうにも止まらない状態〟から抜け出せ
たとえもとの環境に戻っても、
今を取り戻せた状態で過ごせたりする。
というわけで、何を言いたかったかというと、
自分の内側を全肯定すること、もっと言えば、
自分の内側に在る神を全肯定することは、
神を思い出す上で非常に大切なのだな、
ということである。
それは、思い切り眠らせてやる、といった
些細な自分への肯定から始まる。
そして、
肯定された愛は、背後の筒をぐるりと回り、
前面のスクリーンから、神となって滲み出てくる。
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