過去の下書き大放出第二弾、である。
今回は、2016年当時の記事である。
もう、誰の事なのかは思い出せないのだが、
多分、誰か特定のスピ教師に反感を抱き、
こういう記事を書いたように見て取れる。
本当に、当時の事を全く覚えていないが、
その時代の自分を尊重し、
修正なしの原文ママで掲載することにした。
では、どうぞ!
この世界は、はなから始まってもなく、神だけが実存で、
常に神の中で歓んでいるから、と言って、
夢の世界の常識を無視してよい、というわけではない。
迷惑を顧みず、これは違う、と、突然仕事を辞めたり、
これは自我だから、と、社会的責任を果たさなかったり、
それは実存しない、という名目のもと、社会を避けたり、
といった行為は、逆に世界を実在させていると言える。
要するに、たとえ、悟ろうが、神の教師であろうが、
夢の世界にいる間は普通にしましょう、ということである。
人とは普通に会話をし、税金は普通に払い、
普通に働いて、稼いだお金で日々生活をする。
コースを教えることだけで食べて行きたいのであれば、
自分でマネージメントして発信すればいいだけであり、
コミュニティを運営したり、信奉者を傍に置く必要はない。
真の教師であれば、
導こう、としているその小さな判断に気づき、赦すだろう。
導けるのは聖霊だけであって、教師自身ではない。
純粋にコースを生きていきたい、という思いから、
それは違う、という解釈で兄弟を不安な思いにさせたり、
様々な要求をコース兄弟に求めることは自我である。
誰かの犠牲や負担の上に実現するコミュニティなど、
〝真の〟神の教師には、あり得ないことだ。
それでも、誰かの行為に甘え、お世話になったのなら、
その人に対して〝普通に〟気遣いをするべきだし、
心からの敬意と感謝を行動や言葉で表現すべきである。
だって、いくら優れた悟っているマスターだと言ったって、
まだ、肉体を持ち、この世間で生活しているのだから…。
要するに、普通の人と同じなのだ。
自我はどこまでも利用する。
それがコースであっても、何であっても、だ。