香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

知ったら終了!

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毎日、夕方に競馬場をランニングしている。

 

一応、ジムが解禁になるまで続けるつもりで、

 

それに合わせ、炭水化物制限も始めた。

 

 

こうして毎日、競馬場のトラックを走っていると、

 

軽いトランス状態に入るからか、周囲の景色が、

 

認識できなくなる瞬間を体験するようになった。

 

と同時に、

 

これはビルで、この人は男性で、ここは競馬場、

 

と思った時点で、今ここに在る無限(神)に

 

抵抗していることに気づき、その抵抗に対して

 

居心地の悪さを感じていることにも気づいた。

 

「これ全部が神やなんてイヤや!怖すぎる!

 

 せやから、これはビル、あれは男性、

 

 ということにしとけば、とりあえず安心!」

 

と言ってる自分が透けて見えてしまうのだ。

 

 

〝競馬場〟で〝ランニング〟をしている〝僕〟

 

といった、見る、聞く、感じる、という行為から、

 

言葉による解釈が立ち上がり、そこから、

 

神が無数に分断された世界を認識している。

 

なので、

 

全ての人やモノや出来事に神が顕われている、

 

というのも、分断された人やモノや出来事の中に

 

分断された神を見、感じていたことになる。

 

 

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今日も、(自称)ランニング瞑想をしていた時、

 

ビルや、競馬場の芝生や、風や、木々の裏に、

 

知ってしまえばすべてが終了、というような、

 

決して分断されることのないとてつもない真実、

 

みたいなものの〝気配〟を感じていた。

 

それで、もっとよく観よう(感じよう)とすると、

 

ビル、競馬場の芝生、風、寒い、といった、

 

言葉による解釈にかき消されてしまう。

 

もっと言うと、それは気配ですらなく、

 

ある、とか、ないとかすらも言えない、

 

理解を超えているもの…。

 

 

なにか隠れてるんだけど、よく見えない。

 

感じてはいるんだけど、正体がはっきりしない。

 

なんか、

 

あちこちモザイクだらけのAVを見ながら、

 

イキそうでイケないひとりエッチを

 

延々しているみたいな感覚…。(し、失礼!)

 

 

あ、そうだ!

 

明日〝天城越え〟を聴きながら走ってみよう!

 

 

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