香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

終わりの四月

f:id:shusaku1:20220412183524j:plain

 

 

今日は午後から、香港人の友人が、

 

パソコンのディスプレイを受け取りに来たので、

 

ついでに近くの酒楼で飲茶(ヤムチャ)をした。

 

午後2時過ぎに行ったのだが、客は僕らだけ。

 

ひとテーブル二人までという人数制限の中、

 

大勢で楽しむヤムチャに人は集まらないのだ。

 

実際二人で点心をオーダーしても食べきれない。

 

かと言って、せいろが少ないのも味気ない。

 

結局、余った点心はお持ち帰りして夜に食べた。

 

 

f:id:shusaku1:20220412183438j:plain

 

 

前回の記事で、

 

探求する〝私〟が消えた、と書いたが、

 

だからと言ってあらゆる欲が消えたわけではなく

 

常に平安で幸せ、というわけでもない。

 

また、神秘的で特別な境地に至る感じでもない。

 

 

会社で嫌なヤツがいたらいたままで、

 

パートナーに不満があれば不満タラタラなままで

 

全財産が千円なら千円のままで、何の問題もなく

 

その瞬間にカタがついていて赦され切っている。

 

 

夢の世界は雲の如く常に変化しているので、

 

起こることを自分で制御するなど絶対不可能だ。

 

想いや感情をコントロールすることもできない。

 

従って、赦そうとしたり、気づこうとしたり、

 

委ねようとしたり、受け入れようとしたり、

 

見過ごそうとしたりする〝自分〟がいる時点で、

 

すでに、赦すことも、気づくことも、委ねることも、

 

受け容れることも、見過ごすこともできない。

 

奇跡講座では、一歩引いて何もしない、とか、

 

操縦席を聖霊に譲る、とか言ったりするが、

 

一歩引いて敷衍して見ている自分がいたり、

 

譲る〝自己〟が立ち上がった時点でもう、

 

一歩引いてもいないし、譲れてもいない。

 

f:id:shusaku1:20220412183824j:plain

⇧ 32歳の友人(保険の外交員/成績トップ)

  肌のつやが違う。ああ、戻りたーい!

 

 

形而上学で理解したり、頭で分かろうとすると、

 

その時は楽になっても、必ず再び迷い始める。

 

苦しい⇒聖霊に委ねる⇒赦し⇒気づいた⇒

 

ああそうだった⇒納得⇒平安⇒でも待てよ…

 

と、玉ねぎの皮むきを延々繰り返す。

 

 

自分なんて無い、をはっきりさせるには先ず、

 

自分に向かわなければならない。

 

ワプニックでもなく、アーテン&パーサでもなく、

 

小和田菜穂さんでもなく、バシャールでもなく、

 

その他あらゆるスピマスターでもなく、

 

先ずは自分である。

 

自分に向かい始めたとき、

 

そこに自分なんてないことが明白になる。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

blog.hoshitani-shusaku.com

 

 

今週末か来週あたり、

 

インスタライブをしようと思っている。

 

ただし、限定公開の鍵アカ配信となるので、

 

事前フォローをお願いします。(@hoshitani)