香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

今日の在りよう

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ホテルに三泊してから高槻の実家に戻った。

 

実家に戻るのは、まさに二年半ぶりだ。

 

母は特上にぎり寿司を用意して待っていてくれた。

 

去年の夏に父が死んで以降、この一軒家で、

 

ずっと一人暮らしをしてきたせいか、

 

帰った日は、母のおしゃべりが止まらなかった。

 

父が死んだときのことや、日常のことなど、

 

もう夜中までしゃべり続け、

 

「おかあちゃん、もう12時やで!」と僕が言うと、

 

「ええっ、もうそんな時間かいな」

 

と言いながらもまだしゃべっていた。

 

なんやかや言いながらも寂しかったんだなあ、

 

と思い、今後はなるべく母に寄り添うことにした。

 

 

 

 

あくる日、失効した運転免許証を復活させるべく、

 

さっそく、門真運転試験場へ向かった。

 

僕の運転免許証は失効してからすでに

 

一年以上が経過しており、今後は運転もしないし、

 

失効したままでもいいか、とも思ったが、

 

身分証代わりになるのと、もし今後就職をする際、

 

運転免許があったほうが有利だ、と踏んだ。

 

 

朝、市役所で住民票の写しを受け取った後、

 

バスで枚方駅まで👉京阪電車で古川橋まで👉

 

バスで門真運転免許試験場まで👉と乗り継ぎ

 

窓口に着いたのが午前11時55分だった。

 

しかし、窓口の職員曰く、

 

失効した免許の更新の受付は午前11時45分

 

までで、すでに本日の受付は終了しました、と…。

 

ガーン!

 

バスと電車を乗り継ぎ、やっとここまで来たのに。

 

10分の遅刻くらい何とかなりませんか、と、

 

粘ってみたが、すでに写真撮影や適性検査の

 

セクションは閉まっており、どうすることもできない

 

と言われ、泣く泣くこの日は退散した。

 

 

あくる日早起きをして再度門真試験場へ向かった。

 

海外滞在中に免許を失効した場合、

 

通常は、更新時に海外にいたことを証明する

 

出入国スタンプの提示が必要なのだが、

 

僕は自動化ゲートで出国していたので、

 

出国のスタンプがパスポートになかった。

 

しかし、今はコロナ特例措置というのがあり、

 

出入国記録免除で更新できることとなった。

 

 

申請👉免許用写真撮影👉適性検査👉

 

料金支払い👉講習👉新しい免許交付👉と進み、

 

午後2時にようやく免許を受け取ることができた。

 

 

それにしても、今回驚いたのは、

 

市役所や試験場の職員の方たちの対応が、

 

とても親切で丁寧だったことだ。

 

昭和の頃のこういった行政機関の職員たちは、

 

とにかく、偉そうで横柄だった。

 

10分遅刻して再度出直さねばならなかった時も

 

本当に申し訳ありません、と職員から謝られた。

 

 

それに引き換え、

 

視力検査場にいた年配の男性職員は威圧的で、

 

カラコンをしたまま視力検査に来た女性に対し、

 

「ほら、カラコンはダメってここに書いてあるやろ。

 

 ちゃんとチェックしてからきてくれよ…」

 

と大声で注意し、女性はカラコンを外しに行った。

 

これがEXILEみたいなイカツイ兄ちゃんだったら、

 

このおっさんは、こんな対応をしなかったはずだ。

 

大声、威圧的なタメ口、女性蔑視、これって、

 

〝団塊世代〟のおっさん特有のものだと思う。

 

むしろ、若い人のほうが礼儀正しくて優しい。

 

それに、このおっさんは、これらの規則を、

 

何度も説明して、うんざりしているのだろうが、

 

説明されるこっちは初めてである。

 

説明するのが仕事なのだから、そんなにいやなら

 

辞めればいいのに、と思ってしまう。

 

 

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以上が、ここ数日の僕の〝在りよう〟なのだが、

 

門真試験場も、視力検査場の団塊おっさんも、

 

一瞬顕われ、跡形もなく消えていっている。

 

なのに、門真試験場はこうだった、

 

視力検査のおっさんはこうだった、と、

 

何年後かの免許書き換えの時まで、

 

そのときの在りようを存在させ続ける。

 

ムカついたらムカついたで、

 

その在りようを生き切っていれば、

 

次の瞬間は、全く新しい在りようとなる。