香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ふたつない

 

 

よく、一瞥体験をした人や非二元のマスターが、

 

「非二元の意味はふたつではないということです」

 

とか「これしかない」と言っているのを耳にするが、

 

五感の在りようを見ていれば、

 

本当にふたつではなく、これしかないことが判る。

 

 

例えば、

 

右前方を見て、次に、左前方を見たとする。

 

そのとき、すでに右前方の景色は消えていて、

 

左前方の在りようだけが見えているはずである。

 

右前方を見ている時、左前方の景色を引きずり、

 

両方同時に重なって見えたりすることはない。

 

また、

 

ピーポーピーポーと救急車の音が聞こえたとする。

 

救急車が去ると同時に、その音も聞こえなくなる。

 

ずっとその音がとどまり、聞こえ続けることはない。

 

 



 

そして、顕れてくる思いもまた同じである。

 

例えば、

 

誰かと大喧嘩をして超ムカついていたとする。

 

でも、その喧嘩となった場面はすでに過ぎ去り、

 

今は家でゆったりお風呂に浸かりながら、

 

明日の友人との食事会のことを考えている。

 

そして、大喧嘩した時のことと食事会のこと、

 

ふたつのことを同時に考えることなどできない。

 

ふたつない、とはこういうことである。

 

 

 

何かを考えているとき、絶対にその瞬間は、

 

ひとつの事しか考えられていないはずなのだ。

 

パスタを食べておいしいと思いながら、同時に、

 

大切な人を失くして悲しい、と思うことはできない。

 

必ず、美味しいと一瞬思ったあとで、

 

大切な人を失くした悲しみを感じている筈である。

 

しかし、僕たちは、何かの苦しみを抱えていると、

 

ずっとそのことばかりを考え続けているように

 

錯覚してしまう。

 

思いは二つ無いので、何かで苦しんでいても、

 

4630万円返さない事件をテレビを見ている時は

 

それについての事だけを考えているのだ。

 

なので、何かの苦しみを感じている瞬間は、

 

時間にしてみると、たぶん1日5分くらいである。

 

ただ、瞬間瞬間でその嫌な感情が、

 

一日の中にちりばめられたように、

 

ピッ、ピッ、と、2、3秒上がってくるので、

 

まるで一日中苦しみに支配されているように

 

錯覚してしまっているだけである。

 

 

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コインの裏表を同時に見ることなどできない。

 

見ているときはかならず〝ひとつ〟である。