よく、一瞥体験をした人や非二元のマスターが、
「非二元の意味はふたつではないということです」
とか「これしかない」と言っているのを耳にするが、
五感の在りようを見ていれば、
本当にふたつではなく、これしかないことが判る。
例えば、
右前方を見て、次に、左前方を見たとする。
そのとき、すでに右前方の景色は消えていて、
左前方の在りようだけが見えているはずである。
右前方を見ている時、左前方の景色を引きずり、
両方同時に重なって見えたりすることはない。
また、
ピーポーピーポーと救急車の音が聞こえたとする。
救急車が去ると同時に、その音も聞こえなくなる。
ずっとその音がとどまり、聞こえ続けることはない。
そして、顕れてくる思いもまた同じである。
例えば、
誰かと大喧嘩をして超ムカついていたとする。
でも、その喧嘩となった場面はすでに過ぎ去り、
今は家でゆったりお風呂に浸かりながら、
明日の友人との食事会のことを考えている。
そして、大喧嘩した時のことと食事会のこと、
ふたつのことを同時に考えることなどできない。
ふたつない、とはこういうことである。
何かを考えているとき、絶対にその瞬間は、
ひとつの事しか考えられていないはずなのだ。
パスタを食べておいしいと思いながら、同時に、
大切な人を失くして悲しい、と思うことはできない。
必ず、美味しいと一瞬思ったあとで、
大切な人を失くした悲しみを感じている筈である。
しかし、僕たちは、何かの苦しみを抱えていると、
ずっとそのことばかりを考え続けているように
錯覚してしまう。
思いは二つ無いので、何かで苦しんでいても、
4630万円返さない事件をテレビを見ている時は
それについての事だけを考えているのだ。
なので、何かの苦しみを感じている瞬間は、
時間にしてみると、たぶん1日5分くらいである。
ただ、瞬間瞬間でその嫌な感情が、
一日の中にちりばめられたように、
ピッ、ピッ、と、2、3秒上がってくるので、
まるで一日中苦しみに支配されているように
錯覚してしまっているだけである。
コインの裏表を同時に見ることなどできない。
見ているときはかならず〝ひとつ〟である。