香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

真実がスカ食らう

 

 

 

赦される、満たされる、救われる、悟る、と言う時

 

自分のなかで、赦されるとはこういうものだ、と、

 

なんとなく概念が出来上がっているはずである。

 

なので、いくら本を読んだり、動画を見たりしても

 

聞いた言葉を、今まで自分が学んだ概念に、

 

都合のいいように寄せていってしまう。

 

これは、奇跡講座、非二元、バシャール、

 

並木さん、引き寄せの法則、悟り系、新興宗教、

 

どれをとっても同じで、何を見ても聞いても、

 

自分が信じる概念にあてはめ、

 

これはこういうことね、と得心してしまう。

 

すなわち、真理のスカ食らい現象が起こる。

 

殆どの探求者がこれをやっている。

 

私は○○の教えを学んでいます、では、

 

どこまで行っても解決はしない。

 

それよりなにより、

 

自分自身の今の在りようから学ぶべきなのだ。

 

 

どういうことかというと、僕達は何かを学んだから

 

目が見えるようになったわけでも、

 

何かを実践したから、

 

耳が聞こえるようになったわけでもないからだ。

 

見えるとか聞こえるという言葉を学ばなくても、

 

ただ見えているこれ、ただ聞こえているこれ、

 

これら無条件の何にも学ばない時の、

 

直に触れている営みの中に、真実がある。

 

この点がハッキリしないと、何をやっても必ず迷う。

 

 



 

味は、美味しいとか不味いという以前に、

 

その通りの味である。

 

触覚は、暑いとか寒いとかいう前に、

 

そのまんまの体感である。

 

それを、好きだとか嫌だと言って抵抗している。

 

美味しい不味いの前に、暑い寒い以前に、

 

その通りの味わい方、感じ方をしている筈なのだ。

 

 

で、このように書くとまた、

 

あるがままを見ようとしたり、

 

愛を感じようとして、

 

自分で納得した〝考え方〟を実践してしまう。

 

どこまでいってもスカ食らってゆくのだ。

 

そんなものも捨てきったところで見えるもの、

 

首から上の営みに考えかなんかない。

 

 

好きだ嫌いだ、好い悪いの前に、

 

その通りの営みが在ることを智ること、

 

それが神の智覚であり、本質である。

 

本当は、

 

考え方なんか何一つくっついていない世界で

 

生きていることを智ること、それこそが、

 

赦しであり、統合であり、悟りであり、解放である。

 

また、僕たちは実際にそこで生きている。

 

 

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この本質が体感としてハッキリしてくると、

 

美味しいものや不味いものも、より明確になるし、

 

嬉しさや悲しみもより豊かに感じられるようになる。

 

それで何の問題もないことが判る。

 

何があってもなくても大丈夫でいられるのだ。