香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

大きな勘違い

👆 家の近所にあるお好み焼き屋さんで夕食

   という思いが〝ふっ〟と立ち現れる

 

 

スーパーで、今日の夜ご飯はカレーにしようと思って、

 

カレーの食材をカートに入れ始めた時、殆どの人が、

 

今日の夜ご飯をカレーにすると決めたのは〝私〟だ、

 

と思っている。

 

しかし、冷静になってよーくよーく見てみると、最初に、

 

カレーにしようか、という思いが脳裏にふっと浮かび、

 

その後で、カレーにしよう、と決めているのがわかる。

 

カレーにしよう、という思いが浮かんで来ない限り、

 

僕たちはカレーにすることを決められないのだ。

 

もっと言えば、今日の夜ご飯を何にするか、は、

 

その時に、何が脳裏に思い浮かんでくるかで決まる。

 

すなわち、何が思い浮かんでくるか、を、僕たちは、

 

自分で決めたり、コントロールすることができないのだ。

 

逆に言えば、カレーにしよう、と決めさせられている。

 

 

👆 ふっと焼きそばとネギ焼きを注文し、

   ふっと豚玉をお持ち帰りし、

        どれも美味すぎてオニ👹という思いがが湧く

 

 

また、カレーにするか、パスタにするかで迷った場合、

 

カレーよりパスタのほうが簡単だし、安いし、いいかな

 

でも、先週パスタ食ったし、やっぱ今日はカレーだな、

 

と、散々迷った末に〝私〟がカレーに決めた、

 

みたいに思っているが、パスタの方が簡単で安い、

 

でも先週パスタ食べた、と、それらの想いが、

 

その都度、どこからともなく、浮かんで来ない限り、

 

迷えない仕組みになっている。

 

勝手に出てきた思いを捉えて、後付けで、

 

自分がそれを思った、と勘違いしている。

 

そこに〝わたし〟が生まれる。

 

 

👆 店内は思い切り昭和

 

 

先日の、がんかもしれない事件で言うと、

 

がんかも…⇒どうしよう⇒知人の医師に診てもらおう

 

という考えの発露をたどってみると、

 

そういう思いが、ふっと、何の脈絡もなく、

 

浮かんできたから取れた行動であり、

 

なにひとつ自分でやっていないことがわかる。

 

もう完全に〝ふっ〟を自分だと勘違いしている。

 

意識(心の中)を変えることで、

 

起きることを自分でコントロールできる、

 

と思っていたりするが、思う前に起きている。

 

または、

 

あのとき、他にもっといい人がいたのに、

 

何でこの人と結婚してしまったんだろう、とか、

 

何であのとき、あんなことを言ってしまったんだろう、

 

と、あとで後悔したりするが、その時のその瞬間、

 

他の選択が〝ふっ〟と浮かんで来なかっただけであり

 

どうして、その思いが浮かんで来なかったんだ、と、

 

責めてみたところで、責める思いが浮かばない限り、

 

絶対に責められないし、そういう意味で、

 

何かを責めている〝自分〟も存在しない。

 

 

👆 いつも行列ができているのに、

         この日は奇跡的に待たずに入れた

 

〝ふっ〟に対する抵抗をやめて、流れのままでいれば、

 

〝ふっ〟も、耳に何かが聞こえてくるのと同じ、

 

ただ、脳に何かが浮かぶ、という器官の働きであり、

 

そこに自分などいなかったとすぐにわかる。

 

そうなることで初めて〝赦し〟が可能になる。

 

意識がやってる状態で赦しなんて無理なのだ。

 

奇跡講座は、個の自分なんて幻想だ、の、

 

その先のことを言っているのだが、

 

その前に、先ずは、先ずは、マジで、

 

本当になかった、を〝体験〟しなければ、

 

その先もくそもない。

 

なぜなら、体験で得た理解の中を生きることが、

 

赦しとなるからだ。

 

 

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