香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

兄貴の声が聞こえるか!



聖霊を信頼できるようになるにはどうすればいいか、

と、読者の方からよく訊かれる。

聖霊の声も聞こえないし、

存在も実感できないんですけど、みたいな…。


当然と言えば当然である。

聖霊兄貴に全てを任せてしまえば、

兄貴に自分が乗っ取られ、自分が消滅してしまうと、

〝隠された心〟は怯えきっている。

そんな、兄貴を敵と見做している自分に、

兄貴の声が聞こえるわけなどないのだ。


なので、そんなときは、

聖霊の声を聞こうとする前に、

先ずは、隠された心から自動的に上がってくる

〝個の想い〟を放棄する方に取り組んだ方が、

手っ取り早いのかもしれない。


例えば、

レストランで注文した料理が不味かったとする。

個の自分としては、本当にその料理が不味いので、

自分は〝不味い〟と感じている、と思っているが、

よくよくその想いの根源をたどってみると、

料理を口にした途端、どこからともなく自動反射的に、

〝不味い〟という想いが、ふっ、と、

湧き上がってきているだけだ、ということに気づく。

自我を選び、自我に脅され、自我に怯えきっている

ベールの向こうの〝秘密の心〟が発信し続ける

何の意味もない〝ガラクタの想い〟を、

〝自分が思った〟と同一化して感じてしまっている。


その想いは、別の言い方をすれば、

〝攻撃の考え〟であり〝平安を拒否する考え〟だ。


それは自分が意志した考えではない。

故に、自分の思いではないと認識し、

ただ見つめ、現れるままに任せてゆく。

起きることを、受け容れ、聖霊へと流してゆくのだ。


カタチの上では、病気でウンウン苦しんでいようが、

誰かと取っ組み合いの喧嘩をしようが、関係ない。

病気だから、自分には問題がある、

喧嘩しているから自分はまだダメだ、ではないのだ。

そんなの、一切関係がない。

僕たちはただ騙されているだけだ。

〝コント、喧嘩してても平安-PART100〟

〝コント、金欠でもワクワク-PART230〟

でOKなのである。


ただ、真実ではない〝これ〟を凝視し続ける力、

それだけが求められているのだ。

僕達の思い込みだけに支えられているエゴは、

それが〝ウソだ〟と見破られれば消えるしかない。


僕達がそっと〝想い〟を手放したとき、

聖霊兄貴がさっと操縦席に座る。

そうして、兄貴はその人にピッタリな方法で、

さまざまなことを語り始めるのだ。