門戸厄神へ厄除けのお祓いに行ってきた。
これはまだ、自分の人生を何とかしようと、
神様に頼っていた20代の頃からの、
僕の中では年中行事のようになっていて、
厄神明王に挨拶しないと一年が始まらない、
と言っても過言ではない。
いつものように、寺務所で特別祈禱を申し込む。
その際、叶えたい願望をいくつか書き添えるのだが、
書こうとして、手が止まった。
叶えたい願望がまったく出てこないのだ。
いや、そんなはずはない、と自分の中を探ってみる。
新しい小説を書いて、それを出版したい?
いや、出版してもしなくても、書いているだけで幸せ。
夢のような出会いがあって、映画のような恋をする?
うーん、特別な誰かと恋愛とか、めんどくさいかも…。
一生、余裕で生きていけるだけのお金?
まあ、あるに越したことはないけれど、
なくても男一匹、なんとかなるだろう。
とまあ、こんな感じで、どこまでも煮え切らない。
なんか、今この瞬間だけで完結しているので、
将来には将来の、今この瞬間があるのだろうなあ、
くらいにしか思えないのだ。
で、仕方がないので、
厄除開運、心願成就、とだけ書いて申し込んだ。
耳をつんざくような太鼓の音と共にお祓いが始まった。
お坊さんが、読経の合間に、
一人一人の名前と住所と願望を読み上げてゆく。
途中 「これから私が錫杖を振るので、その間、
心の中で叶えたい願望を祈ってください」と言われ、
合掌をしながらこうべを垂れ、祈ろうとしたが、
やっぱり、叶えてほしい願い、がでてこない。
錫杖の鈴の音が響く中、心は空っぽのままだった。
せっかく神様が願いを叶えてやろうと言っているのに、
何にも出てこないなんて、もったいなすぎるぅーっ!
と思っていると、突然、アッと驚くような人生の展開、
という言葉が浮かんできた。
良きにつけ、悪しきにつけ、なんにもないより、
アッと驚くような人生のほうがおもしろい、と思った。
それに、
時間の経過とともに生きる〝横軸〟の人生ではなく、
今この瞬間に過去未来の全部が畳み込まれている
〝縦軸〟で人生を生きていると、瞬間瞬間で、
アッと驚くようなことが起きても不思議ではない。
これだ、とばかり、アッと驚くような人生の展開、と、
心の中で、なんども、なんども唱えた。
ご祈祷のあと、お札を二つもらった。
ひとつは部屋の中、もう一つは玄関に貼る。
これで、厄神明王を自宅へ招き入れたことになる。
それにしても、
将来に対する夢や願望が全くない、とは意外だった。
まあ今後は、兄貴の願望を受け入れてゆくのだろう。
というわけで、あっと驚くタメゴロー!
(これを知ってる読者はつくしさんくらいか )(笑)
な一日であった。