寒い雨の午後、京都の左京区にある、
ティーハウス・アッサムに再度行ってきた。
今回は、祁門という中国紅茶を注文した。
店主に訊くと、紅茶にはインド種と中国種があり、
中国種は焙煎の段階によって、
お茶になったり、紅茶になったりするのだという。
二胡の音楽が流れる空間で静かにお茶を飲む。
超絶無口な店主の手作りスコーンもおいしい。
なんだか、お茶をしながら瞑想をしているみたい。
張賢亮の『男の中の半分は女』を読みながら、
時折じっと目を閉じ、今この瞬間にたたずむ。
体の力を抜いて、出てくる思いのままを受け入れる。
時間が縦軸に集約されてゆく。
向かい合わせになった鏡のあいだに立っている感覚。
自分の前後に、無数の自分の映像が連なっている。
これは全て、過去や未来の自分でありながら、
今の自分が過去や未来へ波及したものでもある。
そんな点のような直列の時間の中を行き来しながら、
僕は過去や未来の自分と対話していた。
そして、全ての時間の終わりには兄貴がいる。
もう安心して、ただここにいればいいんだな、
と思った。
過去と未来が合わせ鏡の点になった空間で、
店主が、黙々とパイの生地をこねていた。