今日は、働き方改革による強制有休消化で休んだ。
11時にチョイ姐が掃除に来るので、
10時に起きる予定だったが、目覚めたら正午だった。
ヤバい!寝室を出てみるとすでに洗濯機が回っている。
チョイ姐は買い物に出ているようだ。
僕は大急ぎで顔を洗い、慌てて部屋を後にした。
初めて入る食堂で昼食を取った。
巨大なポークステーキがチョー美味かった。
昼食の後、近所の日系ヘアサロンへ髪を切りに行った。
極端な刈り上げはやめ、自然な感じに仕上げてもらう。
スタイリストが変わるとこんなも雰囲気が変わるのか、
とちょっと驚いた。
その後、ジムで少し筋トレをした後、
通りがかりの店で夕食の叉焼を買って帰宅した。
いつもと違う食堂、違うヘアサロン、違う叉焼、
〝お決まり〟もいいが、小さな冒険も楽しいものである。
どんな人にも、その人独自の自分ルールがある。
毎朝必ず青汁を飲むとか、お風呂では必ず首から洗う、
といった生活習慣上のルールに始まり、
散髪はこの店、醤油はこのブランド、というこだわり、
そして、酒は好きだが体に良くないからやらない、とか、
苦労をしないと欲しいものは手に入らない、といった、
信条的なルールに至るまで、僕達はこうした、
密かな習慣やこだわり、信条などをルール化することで、
判断をする労力を省き、自分だけの平安を維持している。
だが、ひとたび何かのアクシデントが発生し、
自分が決めたルールが実行できなくなったり、
こだわっているものが手に入らなかったり、
自分の信条と真逆の生き方をしている人を見ると、
その自分ルールを阻む出来事や他者に対して、
怒りを覚えたり、批判したくなったりする。
僕の自分ルールと言えば、そうだなあ、
夜、必ず決まった銘柄のワインを飲まないと眠れない、
夜、炭水化物を食べると太るので食べてはいけない、
朝、あの運転手さんのバスに乗るといいことがある、
と言った感じか…。
でも、そんなくだらない自分ルールであっても、
チョイ姐がワインを買い忘れていたり、
仕事の付き合いで、夜ラーメンを食べさせられたり、
乗ったバスが、幸運の運転手ではなかったとき、
無意識のうちに心の中で〝チッ!〟とやっている。
勝手に自分で決めたルールで人を裁いているのだ。
自分ルールを無くそうとする必要はないと思うが、
ただ、なんでこんなことやってるんだろう、
なんで、これでないとダメなんだろう、
いったい、このルール設定の大元は何なんだろう、
と気づくことで、自分が何を信じているかが見えてくる。
今日の僕の様に、小さな自分ルールを外して行動すると
枠を作って安心している自分に気づけたりもする。
また、
人を批判するためにルールを作っていることにも…。