👆 おじいちゃんと〝イェーイ!〟
墓じまいを終え、母と妹で、阪急百貨店のお寿司屋で
遅い昼食をとっていたとき、妹のケータイが鳴った。
墓石を撤去していた石材屋さんからで、
戦死した祖父の墓の下から遺髪が出てきたという。
祖父は、昭和20年にフィリピン沖で戦死しており、
遺骨も何もなく、政府が建てた戦没者の墓の下には
何もない筈だったが、髪の毛が入っていたらしい。
それも、まるで今切ったような、しっかりとした髪で、
溜まった雨水の上に浮かんでいた、ということだった。
そのことを母に伝えると、母も驚いていた。
たぶん、祖父の出征時、
丸刈りにするために切った髪を祖母が保管していて
遺骨の代わりに墓の下に入れたのだろう、
と母は言った。
そうなると、墓を建てたのが昭和21年だから、
78年間も朽ちることなく髪が残っていたことになる。
この髪は、
石材屋さんがお寺に持って行き、供養したあと、
お骨と一緒に納骨堂へ納めてくれることになった。
👆星のマークがついた偉い軍人さんの墓が並ぶ
僕はまだ、
出てきた髪の毛の写真も実物も見ていないのだが、
愛する人の遺髪を墓に納めた祖母の、
悔しさ、悲しさ、切なさ、愛おしさ、といった、
様々な思いを感じて、
万感胸にこみ上げるものがあった。
墓の中に、遺骨や遺髪を入れようが、供養しようが、
墓の中に本人(の魂)がいるわけではない。
そんなことは、誰もがみんな分かっている。
僕もこの歳になるまで、
お墓のことなど、一切気にもかけずに生きてきた。
妹から墓じまいの提案を受けた時も、
どっちでもいい、というか、いや、むしろ、
わざわざ金をかけてなんでそんなことをするんだ、
くらいに思っていた。
しかし、墓じまいを終えてみて、うまく言えないけれど、
かつて生きていた全ての先祖の人たちの想いが、
いまここに生きている自身の、
細胞一つ一つの中に息づいている気がして、
彼らに対する、愛おしさがこみあげてきたのだ。
昨日も書いたが、どんな人生を送った人でも、
最後はみんな〝これやん〟で終わる。
そこには何の罪もない。
だって、夢なんだから…。
だからこそ、ご先祖様が見てきた夢の全てを、
無罪として全肯定することが真の供養なんだ。
本当にうまく言えないのだけれど、ご先祖様って、
いま、ここに在る自分のことなんじゃないのか。
お墓や仏壇に手を合わせる時、
本当は自分の中の聖性に手を合わせている。
僕は独身だし、子供もいない。
累々と引き継がれてきたご先祖様の全てが、
僕のDNAのなかに息づいている。
いわば、僕は全てのご先祖様を代表しているのだ。
最後の最後に僕が夢を終わらせ、
全員を引き連れて、
父が待つ故郷へ永遠に帰還するのだ。
そして、その時はじめて、本当の意味で、
全ての先祖が〝成仏〟できるのかもしれない。