香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

光速人生

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↑ これ全部で400円くらい

 

ここのところ時間の流れが異常なくらい速い、

 

と感じているのは僕だけだろうか。

 

1ヵ月が20日程で過ぎて行っていると思えるくらい、

 

あっという間に時間が経つ。

 

 

当初は、ネットやスマホの普及で、

 

あらゆる事がスピーディーになったために、

 

時間が短縮されたように感じるだけなのかな、

 

と思っていたが、そうでもないらしい。

 

もうそんな域は超えていて、

 

どう見ても、実感として時間が速くなっている。

 

 

アセンション系の人たちの間では、2020年までは、

 

まだ宇宙の、なんちゃらゲートが開いているらしく、

 

別のパラレルへの乗り換えが可能な状態だが、

 

2020年を過ぎると、周波数が完全に固定され、

 

別のパラレルへの移行が難しくなると言われている。

 

 

真偽の程はともかく、ここのところ、僕の中で、

 

ソワソワと落ち着かないような、浮き足立ったような、

 

何かに急かされるような感覚があるのも、

 

今のうちに、もっとも望むパラレルへ移行しろ、と、

 

ハイヤーセルフから急かされている感じがする。

 

 

素の自分に戻れ、とバシャールはよく言っているが、

 

とにかく、仕事も、今の生活も、人間関係も、

 

一度、すっぱり、リセットし、まっさらに戻れ、

 

というメッセージが、最近、僕にもやたら入ってくる。

 

 

僕の場合、今の生活をリセットすることに対し、

 

まったく恐怖も抵抗もなくなっている。

 

が、名残惜しさはある。

 

しかし、ここで現実の全てを手放してしまったら、

 

この幻想の世界に対する興味や欲望が急激に薄れ、

 

〝情〟や〝概念〟で社会と関われなくなるのは、

 

目に見えているし、そうなったら、自分はおそらく、

 

聖霊の訂正を受け容れた後の世界へ移行するだろう

 

ことも理解している。

 

 

そういう、時間が怖いほどの速度で過ぎていく中、

 

時間を超越した領域(訂正を受け容れた後の世界)

 

へと進む決断を迫られているような気もしている。

 

 

あ、あ、兄貴ぃ。

 

タイムリミットがあるのも分ってるけど、

 

もうちょっと、普通の人間でいさせてくれ!

 

ちゃんと決断の意欲は持ってるから、そやから、

 

全てを崩壊させて一発どっかーん強制終了~!

 

みたいなことだけは勘弁してくれ!

 

もう、この年になったら、正直スワットはキツイ。

 

ホンマ、お願いしますわぁー!

 

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↑ ふぁちゃんを甘く見てはいけない。

   彼女は、エッグタルトの本とゲイリー三部作を

      読破している数少ない中国人なのだ!

      

 というわけで、今日は深圳日帰り出張へ行って来た。

 

この日は陳弁護士とふぁちゃんとミーティングだった。

 

久々に会ったふぁちゃんは、

 

髪を短く切り、ブルーのワンピース姿で若返っていた。

 

一緒に麺の食事をとったあと、

 

間借りしている事務所の会議室で、

 

陳弁護士も交え、2時間ほど打ち合わせを行なった。

 

 

打ち合わせの内容は、佛山工場の清算を、

 

今後どのように進めてゆくか、についてだった。

 

佛山工場を閉めてからかれこれ一年以上経つが、

 

未だに国税の抹消手続きが終わっていない。

 

原因は雇ってる会計士にやる気がないことにある。

 

陳弁護士は会計士を変えることを提案しているが、

 

清算の途中で会計士を変えるのにもリスクが伴い、

 

さて、どうしたものか、とも思う。

 

 

こういう状況判断的な思考は起こるのだが、

 

ここまで、心の訓練が進んでくると、さすがにもう、

 

〝あの会計士、けしからん!〟

 

〝ふぁちゃん、もっとしっかりしてくれよ!〟

 

〝陳弁護士、高い顧問料を払ってるんだからさあ。〟

 

とはならず、解釈さえ浮かんでこない。

 

 

このときはもう、今この瞬間の平安に留まり、

 

ただ、聖霊兄貴の訂正を受け容れるスタンスでいた。

 

すると、全身が聖霊に覆われたような感覚になり、

 

もう、ここで、自分は何も解決しようとしなくていいんだ

 

と、真に理解して放っておける自分(=聖霊)がいた。

 

 

深圳からの帰りの車中で思った。

 

もう、何もする必要がなく、全ては幻想で夢なのだ、と

 

解かっていながら、こうやってさも何かを解決しようと

 

動き回っていることに何の意味があるのか、と…。

 

たとえ別の会社へ行こうが、自分で何かを始めようが

 

この幻想の世界で何かを〝やる〟以上、

 

必ず同じループの繰り返しとなる。

 

 

だったら、もういいや。

 

24時間、聖霊兄貴だけでいよう、と…。

 

別に肉体が死んだっていいのだ。

 

肉体の死に何の意味があるのだ。

 

そもそも、人生を生きている自分はいない。

 

 

もう、本当の意味での閉店ガラガラが近いのだな、

 

と、腹をくくる時が来ているのをひしひしと感じる。

 

でも、でも、でも…。

 

もうちょっとだけ…。

 

 

訂正を受け容れる場所

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↑土曜の午後、筋トレの帰りにカフェでお勉強
 

 

前回の記事でも書いたが、

 

新会社がスタートして以降、仕事が超忙しい。

 

毎日夜9時頃まで残業をしている。

 

というのも、支払いやインボイスの帳票類を、

 

旧会社と新会社に分けて管理せねばならず、

 

そのため、同じ作業を二度行なう必要があるからだ。

 

中でも、きぃーっ、となるのが小切手の発行である。

 

せっせと手書きで小切手を切るのだが、

 

何度も英語の綴りを間違え、今度こそ、と思って、

 

慎重にやると、緊張して余計に間違える。

 

ああ、こんなとき、ケリーがいてくれたらなあ、と、

 

サインだけしてればよかった過去に想いを馳せつつ、

 

夜九時に、書き損じの小切手をシュレッターに掛ける

 

うぃぃーん、という音を聞く僕である。

 

 

それでも、仕事自体は嫌いではない。

 

会社にいる時間と、プライベートな時間との間に、

 

全く差がない状態となっているので、

 

帰りがいくら遅くなっても、ちっとも苦にはならない。

 

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↑この日は、九龍公園が一望できる

  会計事務所の会議室で打ち合わせ。

  一度でいいからこういう所で働いてみたい。

 

というわけで、

 

もう聖霊の訂正を受け容れるだけでいいんだ、

 

と、しみじみ思う今日この頃である。

 

 

僕達は普段、意識しているしていないに関わらず、

 

問題を解決するためにどのように行動するべきか、

 

この厄介事や災難を避けるために今何をすべきか、

 

また、明日会う、あの嫌な人にはどう対処すべきか、

 

など、常に未来への防衛を意識しながら生きている。

 

 

しかし、Jは、

 

「未来に起こって欲しい理想的な結果を得るために、

 

 過去の経験を使って、いま何をすべきかを考えたり、

 

 過去の知識を使って、今起こっている問題を

 

 どのように解決するかに想いを馳せることに、

 

 あなたは一切責任を持つ必要はない。」 と言う。

 

それらの問題が起こっているのは、

 

僕達に原因があるのではない、というのである。

 

そして、僕たちが唯一責任を持つべきことは、

 

今、自分が抱えている問題や、起こっている世界や、

 

他の人についての全ての想いを隅へ追いやり、

 

今、この瞬間に、聖霊による修正を受け容れよう、

 

今、この瞬間に、聖霊とひとつになろう、

 

今、この瞬間に、聖霊の観方で知覚させてもらおう

 

と意志することだけである、と…。

 

 

しかし、そうは言っても、

 

今、この瞬間に自分の想いを隅へ追いやる、

 

なんて芸当、一体どうすればできるんだろう。

 

だって、隅へ追いやろうにも、想いは〝ふっ〟と、

 

絶え間なく、勝手にどんどん湧き出てくる。

 

 

そんなことを考えながら、この日も、

 

夜9時ごろまで残業をし、帰りのバスに揺られていた。

 

バスの二階席から、香港特有のネオンに彩られた

  

通りの様子を眺めていると、

 

〝今の会社に残り、東京へ行って本当にいいのか〟

 

〝東京へ行くと、香港の友人達とも逢えなくなるな〟

 

〝また、新たな土地で一から生活を築くのかあ…〟

 

という想いが自動的に〝ふっ〟と湧き上がる。

 

 

と、そのとき 「いま、ここにある平安に留まれ!」

 

という声が、どこからともなく聞こえ、

 

「ああ、はい。わかりました。」となった。

 

 

例えばこういう事である。

 

すごく嫌な相手と明日会うことになっていたとする。

 

将来になにか不安を抱えていたとする。

 

または、LINEで深刻なやり取りをしていたとする。

 

しかし、ハッと我に返ってようく見てみると、

 

今、眼前に見えているこの景色は平和そのものだ。

 

ネオンの看板はキラキラと点滅しているし、

 

人々は通りをゆったりとした様子で歩いている。

 

エアコンの効いたバスの中は快適だし、

 

近くの席ではカップルが肩寄せ合って眠っている。

 

そうなのだ。いま、この瞬間には何の問題もない。

 

 

じゃあ、いま、震災に遭っている人はどうなるんだ、

 

と異議を唱える人もいるかもしれないが、

 

それだって、異議を唱えている本人は、

 

いま、震災に遭っている訳ではなく、

 

やっぱり、眼前の風景は平安なはずである。

 

誤解を恐れずに言うならば、

 

震災に遭っている人はどうなるんだ、

 

と、疑問に思った瞬間に、心の中で、

 

震災に遭っている人が造りだされている訳で、

 

本当は、震災に遭っている人は存在しない。

 

要するに、僕たちは巧妙に騙されているのだ。

 

 

過去や未来に対する不安や恐怖を脇に置くとは、

 

いま、眼前に見える平安に意識を留めることであり、

 

その中で、

 

別の解釈を与えてくださいと聖霊に頼むことこそが、

 

自分の負うべき唯一の責任であり、

 

聖霊の訂正を受け入れる、ことの真の意味である。

 

 

こうやってみると、僕たちは結局、

 

目の前に顕われている風景にイエスと言う以外、

 

何もする必要はなかったことに気づかされる。

  

 

 

そう言う意味で、

 

コースをやり始めた初期にちょっとハマっていた、

 

エックタルトの〝今に在る〟が、一周まわって、

 

今見えているもの=平安=訂正を受け容れる場所

 

という理解につながっている感じがしている。

ようく、ようく、見てみると…

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↑ 何もする必要がない、の意味は、

   この状況を見ても何も言わないということではない。

   使うので片づけて下さい、とちゃんと相手に伝える。

   そして、その時、出てくる〝ふっ〟を捧げる。

  

様々な人や物や事象が次々と取り消されて行く中、

 

会社員としての仕事も終わろうとしている、

 

みたいな記事を、以前、書いていたと思うが、

 

10月1日から新会社となり、社長も変わって、

 

新たな体制でスタートを切った途端、なぜか、

 

すっごく仕事を頑張っている自分がいる。

 

 

トレーナーとのセッションもキャンセルし、

 

風邪気味で、身体じゅう蕁麻疹全開にもかかわらず

 

ここ数日、夜の十時近くまで仕事をしているのだ!

 

エライッ!

 

 

もちろん、特別な何かがあったわけではなく、

 

無理に決意をして一生懸命やってるわけでもない。

 

もちろん、本当に業務が忙しいというのもあるが、

 

ただ、仕事や同僚に対する感謝がふっと湧きあがり、

 

自然と頑張りたい、という意欲が湧いてきている。

 

 

赦しを実践していると、

 

聖霊にどんどん自分や兄弟を明け渡してゆく過程で、

 

急激な喪失感にびゅんびゅんする時期を通り過ぎる。

 

これまで安定や安心を得てきた象徴物、

 

例えば、お金や、家や、大切な持物や、ペットや、

 

居心地の良い生活環境や、安定した仕事や、

 

長年共に過ごしてきたパートナーシップなど、

 

もう、それがなくなったら死ぬほど動揺するような、

 

殆どアイデンティティとなっているようなものが、

 

次々に取り上げられる時期がやってくるのだ。

 

 それでも、外側のものが消えれば消えるほど、

 

 解放されてゆく奇妙な安堵感も同時に感じる。

 

 

 また、これまでの自分は、

 

 取り消しによって外側の何かが放棄される際に、

 

 「ああ、このことは、もういいかな!」

 

 という感じで、興味や意味を見出さなくなることで

 

 終わってゆくものだと思っていたが、

 

 実際は真逆だった。

 

 

本当に愛おしく、感謝と慈しみの中で終えてゆく。

 

 なので、仕事も最後まで一生懸命やるのだが、

 

 かといって、そこに未練や執着はない。

 

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 ↑ 警察官募集のポスター。

  日本の警官は柔道選手のように肥っているが、

  香港の警察官は、容姿も審査対象となるため、

  スリムなイケメンが多い。

   

というわけで、

 

今日17日は重陽節の祝日で香港はお休みである。

 

 ここのところ、残業続きだったので、

 

 週の真ん中に休みがあるのはありがたい。

 

 

部屋でひとり、

 

 今この瞬間に在る平安を見つめていると

 

 谷川俊太郎のパクリみたいな、変な詩ができた。

 

 

『ただ見つめること』 作:星谷周作

 

兄弟を見つめること

 

それは自分の心の中を見つめること

 

笑顔と慈愛で見つめること

 

不機嫌で、自分勝手で、小憎たらしくて、最低最悪な

 

そんな兄弟の前で、ただ無防備に見つめること

 

兄弟にさらけ出して恥じないこと

 

それが兄貴を受け容れるということ

 

兄弟は自分の心の中に住んでいるということ

 

そして、兄弟が持っている故郷へ戻る扉の鍵を、

 

じっと、じっと、ようく、ようく、見つめること

 

僕の役割は、ただそれだけだということ。