香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

それでもあなたはやってない

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↑ フィリピン工場からの風景

 

最近、ようやく、

 

兄弟を完全に無罪として観れるようになった。

 

観ようとするのではなく、そう観えるのだ。

 

そして、兄弟に完全な無罪を差し出すことが、

 

今の僕にとっての赦しであり、救済となっている。

 

 

面白いことに、兄弟を無実として開放しだすと、

 

これまで自動反射的に湧き起こってきていた

 

〝妄想復讐劇場〟がピタっと止んでしまった。

 

 

スーパーのレジで、前の客がもたもたしただけで、

 

即行、相手に対して有罪宣言を発令し、

 

心の中でさまざまな復讐妄想を繰り広げていたのに、

 

そんな妄想の泡ぶく自体が発生しなくなったのだ。

 

 

僕達は、赦しの実践の中で、

 

〝何かをしている誰かはいない〟とか、

 

〝罪なんてない〟と頭の中では宣言しながらも、

 

他者が見せる小さな行為に、ムカつき、イラつき、

 

断罪したりする段階を通ってゆくのだが、

 

それでもなお、

 

聖霊の訂正を受け容れる心の訓練を続けていると、

 

全ての人の背後に、同一のキリスト(J)を見て、

 

「あっ、本当に兄弟は無罪だ。無辜でしかない。」

 

と、はっと心から腑に落ちる瞬間がやってくる。

 

これは、一瞥体験などで悟ったりするより、

 

より確実で堅固な瞬間だ。

 

 

こうなってくると、

 

自分が香港にいようと、北朝鮮にいようと、

 

億万長者であろうと、無一文であろうと、

 

幸せな家庭の主婦であろうと、風俗嬢であろうと、

 

習近平であろうと、安倍であろうと、トランプであろうと

 

まったく、ぜんぜん、これっぽっちも関係なくなる。

 

だって、もうみんな、

 

無罪であることが確定しているから…。

 

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それで、今日、税務局から僕宛の文書を受け取った。

 

香港では自分で所得税の申告を行なうのだが、

 

企業側は企業側で、今年、この社員に、

 

これだけの給料を支払いましたと税務局へ申告する。

 

 

僕は給料を全て日本でもらっているが、

 

所得税は香港で支払っているので、

 

うちの会社は、香港の税務局に毎年、

 

星谷周作という社員にこれだけの給料を払いました、

 

という申告を行なっていた。

 

まあ、日本への査察はほとんど入らないので、

 

当時の総経理も僕も、低い額で申告していたのだが、

 

それが今日、どうしてこんなに申告額が低いのか、

 

という、説明要請の通達が会社へ来たのだ。

 

 

当時は、何の気なしにやっていたが、

 

これって、よくよく考えれば、立派な脱税である。

 

もちろん、今の僕は、すぐに会計士と相談し、

 

修正申告を提出して、追徴課税も含め、

 

ちゃんと税金を支払うつもりでいるのだが、

 

当時の自分は、ただ、みんなもやってるし、

 

ま、いっか、くらいの気持ちでやっていたのだと思う。

 

 

それでもやっぱり、

 

「当時の自分に罪はない、間違いは罪ではない。」

 

と、当時の自分に宣言してやる。

 

ただ間違っただけなんだから、今この瞬間に、

 

訂正すればそれで済むことだ、と…。

 

 

過去の自分に無罪を宣言することで、

 

過去の自分が〝しでかした〟と思っている事を

 

赦し、解放するのだ。

 

 

そうやって、

 

隠蔽している過去の罪悪感に光を当てる。

 

そんなものは、はなから存在せず、

 

自分も、兄弟も、自分の過去も、兄弟の過去も、

 

全て無罪であると認識してゆく。

 

 

とまあ、そんな感じで、今日は他者だけでなく、

 

過去の自分にも無罪を宣言することを学んだ。

 

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↑ 朝5時半のクラーク国際空港

 

それにしても、

 

先週の〝行列の出来る法律相談所〟で、

 

SHOCK EYEの画像をケータイの待ち受けにすると

 

運気が上がり、いいことが次々に起こる、

 

と言っていたので、早速やってみたら、あくる日、

 

この〝税務局申告事件〟が起こった。

 

きいぃーーっ!

兄弟まるごと無罪宣言!

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怒涛の一週間が過ぎ、ようやく週末がやって来た。

 

今週はフィリピン出張の後、香港に社長が来たりして

 

あちこち移動しまくったため、肉体的にクタクタだ。

 

新社長とは、金曜の朝に個人面談をした後、

 

午後から銀行回りをした。

 

前回、中国銀行や東京三菱銀行から断られ続けた

 

香港支社の口座開設を、ようやくあの、

 

みずほ銀行が引き受けてくれることになったのだ。

 

 

というのも、中国の共産党幹部たちが、

 

大量の外貨を、香港の銀行経由で、

 

スイスやイギリスのケーマン諸島の銀行に、

 

マネーロンダリングしていたことが発覚し、

 

中央から香港の銀行に膨大な圧力がかかった。

 

それで、どこの銀行も、

 

新規取引に慎重になっているのだった。

 

 

しかしこちらとしても香港に口座がなければ、

 

香港での取引先や業者への支払いを、

 

全て日本側で処理せねばならなくなる。

 

さて、どうしたものかと思っていたところ、

 

コンババ部長が日本でみずほに口座を開設し、

 

そのコネで香港でも口座が開ける運びとなった。

 

さっすがコンババ部長、やるときはやる。

 

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みずほ銀行香港支店は、有名芸術家が設計した、

 

最高にスタイリッシュなビルに引っ越したばかりで、

 

香港島が一望できる会議室で先方と面会した。

 

担当者の方もとても優しい方で、分かり易く、

 

口座開設について説明してくださった。

 

 

夜は、山梨中銀の駐在代表と会食をした。

 

僕が口座開設ができずに困っていた時、

 

親身になって相談にのっていただき、

 

頼れる兄貴のような存在のひとだった。

 

みずほで口座開設ができると聞いて、

 

本当によかったねえ、と喜んでくださった。

 

中国精進料理の店へ連れて行ってもらい、

 

社長も含め食事を楽しんだ。

 

 

社長も、銀行の人も、フィリピン工場の人達も、

 

本当に優しい。

 

 

そう言えば、

 

たとえ、どんな瞬間でも、どんなことがあっても、

 

絶対に絶対に、僕は兄弟を罪人にしない、

 

兄弟を無罪としてしか観ない、と誓った日から、

 

世界がどんどん優しく変わっていった気がする。

 

 

そういう意味で、自分が与えた意味を見ている、

 

というのは真実だと兄弟たちから学んだ。

 

 

あっ、そうそう。

 

社長との面談では、僕の帰任が来年の3月となった。

 

まだ少し時間的に余裕があるが、

 

まあ、物事はいつも予期せぬ方向へと流れゆくので、

 

どうなるかは全く分からない。 

 

どちらにせよ、僕にできるのは、

 

信を置いた兄弟についてゆくことだけである。

 

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そんな感じで、今週はずっと、

 

〝兄弟に信を置く〟を実践した一週間だった。

 

今この瞬間に顕われる人々の中に観える、

 

キリスト(神の子の本性)に信を置くことに集中した。

 

何があっても、兄弟を、信頼し、解放し、咎めない。

 

 

ここのところ、様々な国へ赴き、

 

そこでは色んな兄弟たちが、僕の眼前で、

 

種々多様なパフォーマンスを見せては去って行く。

 

こんなとき、自分はつくづくスワットだな、と思う。

 

本当は、深い森に囲まれた小さな一軒屋で、

 

志を同じにする同志たちとのみ交流し、 

 

のんびり気ままに暮らしたいのに、

 

そうは問屋が卸してくれない。

 

もしそのような生活になれば、表面上の平安の奥に、

 

分離した罪悪を隠蔽させてしまう可能性があり、

 

あたかも、

 

もう幸せな夢に至ったかのように錯覚してしまう、

 

と、兄貴は踏んでいるようである。

 

 

なので、今の僕にとっては、

 

眼前に顕われる兄弟たちが見張り役であり、

 

導き手となってくれている。

 

だから、そのことだけを取ってみても、

 

兄弟たちには恩義があり〝信を置く〟に十分値する、

 

と思うのだ。

 

 

そんなわけで、今週末はゆっくり惰眠をむさぼり、

 

一週間分のワイドショーを見て、

 

久々にジムで身体を思いっきり動かすつもりである。

経験が邪魔をする

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いま、フィリピンに来ている。

 

今回は、香港からキャセイ便でマニラ入りし、

 

市内にある会計事務所で打ち合わせをした後、

 

工場のあるスービックへ移動した。

 

フィリピンでは、まだハロウィンも終わってないのに、

 

すでにクリスマスシーズン真っ盛りで、

 

街にはジングルベルが流れ、工場へ行くと、

 

エントランスに大きなクリスマスツリーが置かれ、

 

トイレの鏡もソリのカタチに雪化粧されていた。

 

聞けば、SEPTEMBERのように、後ろに-TEMBER

 

が付く月からクリスマスは始まっているのだという。

 

ええっ、

 

一年の三分の一がクリスマスって、どういうこと?

 

 

クリスマスと言えばJ、Jと言えばキリスト、

 

一年の三分の一をキリストで盛り上がる

 

フィリピン国民ってすごいっ!

 

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で、フィリピン工場の事務所で、

 

業務用のノートを広げると、

 

フランシスの言葉をメモしたページが出てきた。

 

昼休みに映像を見ながら書き写した文章だった。

 

 

〝戦争、憎しみ、恨み、そして病気、

 

でもこうしたことは、あなたが悪いわけではなく、

 

あなたに責任はありません。

 

だから私たちはリラックスして、

 

「私たちには間違いについての責任はないが、

 

   その訂正を受け容れる責任はある。」

 

と思い出せばいいのです。

 

 

「聖なる瞬間とは、いま、この瞬間である。」

 

「今、癒しを受け容れよう。

 

   今、聖霊の観方で知覚させてもらおう。」

 

「今、問題や、この世界や自分自身、

 

   他の人についての全ての想いを脇に置こう。」

 

「今、そうしよう。」

 

そうする時にのみ、

 

私たちは物事を本当に変化させることができ、

 

このやり方でのみ、どんな問題も解決できる。

 

 

日々湧き上がってくる想いに対する責任を、僕達は、

 

一切取る必要がないと聞いた時、心底ほっとした。

 

神(神の子)を受け容れようとする気持ちだけでいい、

 

と言われ、肩の荷が下りた気分だった。

 

 

そしてそれは、いまも僕の周囲で、

 

僕に様々なパフォーマンスを見せてくれている

 

兄弟たちに対しても言えることだ。

 

なぜなら、

 

兄弟たちに責任を負うのは僕の仕事ではない。

 

 

だから、いま、目の前にいる兄弟たちが、僕に対し、

 

どんなに強烈なパフォーマンスをしてきたとしても、

 

僕はその兄弟たちに絶対的な〝信〟を置くべきだ、

 

と思うのだ。

 

 

ちゃんと顔を上げ、兄弟を正面に見据えながら、

 

咎めることなく、ただ〝信〟を以って観る。

 

それ以外、何もする必要はない。

 

そうすることで、

 

自分が兄弟に与えていた罪と罰から、

 

兄弟を解放し、自由にすることができる。

 

それはまた、自分の解放となって戻ってくる。

 

きっと、天国へ繋がる鍵は兄弟が持っている、

 

というのはこういう事だったのだ。

 

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で、今回の出張中、次々と眼前に顕われ来る人々、

 

例えば、独立したばかりの会計士さん、工場長、

 

工場のスタッフたち、道行くフィリピンの人々、

 

を前に、ずっと彼らに信を置いて過ごした。

 

 

こうして、咎めず構えず、

 

ひたすら〝信〟を置いて相手を観ていると、

 

相手の背後に聖性(キリスト?J?)の気配を

 

ちらちらと見て取れるようになった。

 

それからは〝兄弟に信を置く〟の延長線で、

 

背後に見えるJと重ねながら、

 

同一の聖性を眺めた。

 

 

表面の人間が、何を言おうが、何をしようが、

 

背後には同じひとつのJ(キリスト)がいて、

 

ただそこに信を置く。

 

 

明後日金曜日は、日本から社長が香港へやってくる。

 

外部の会議室を予約し、個人面談をするのだ。

 

多分、帰任について話し合うことになるのだろう。

 

そのとき僕は、真に〝信〟を置いて、

 

兄弟社長(笑)と対峙することができるのか。

 

 

読者兄弟たちよ。

 

どうか、祈っていてくれ!