香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

聖霊だらけ

f:id:shusaku1:20181030223802j:plain

↑ 稲垣足穂『一千一秒物語』絵本版

   たむらけんじ氏による挿絵

 

約一か月前に起こった一瞥体験を通じて、

 

真に理解できたことは〝自我なんてなかった!〟

 

という衝撃の事実であった。

 

 

一瞥の最中は、

 

自分も自我も存在せず、完全に空っぽで、

 

ただ〝それ〟(眠っている神の子の意識)があるだけ、

 

という究極の状態だったのだが、

 

この〝自我なんて存在しない〟という体感は、

 

自己が回復し、意識が通常に戻った後の僕に、

 

大きな変化をもたらすこととなった。

 

 

もちろん、一瞥体験後も、日々の日常の中で、

 

普通に、恐怖感や不安感は上がってくるし、

 

自然に、江後田自我男による妄想劇場も起こる。

 

しかし、それでもエゴはないと真に解かっている。

 

f:id:shusaku1:20181031011141j:plain

↑ 小説『ジンジャー・タウン』の挿絵を

   たむらけんじ氏に描いてもらうのが僕の夢…。

 

どういう事かというと、

 

聖霊を受け容れるということは、

 

この行為はエゴからのものか、聖霊からのものか、

 

とか、これはエゴの選択か、聖霊の選択か、とか、

 

このメッセージは本当に聖霊からのものなのか、

 

といった、エゴか聖霊かを分別しようというような、

 

どちらかを選ぶ、みたいなものではなく、

 

つまり、自分が、誰かから傷つけられていようが、

 

将来に恐怖し、欠乏感にさいなまれていようが、

 

目の前の事に忙殺され、きぃーっ、となっていようが、

 

聖霊に全托した時点でもう、そんなことも含めて、

 

それは全て聖霊の中で起っていることであり、

 

そこは聖霊に導かれている世界である、ということだ。

 

 

もっと突き詰めれて言えば、エゴが存在しないので、

 

一旦聖霊を選択してしまえば、

 

聖霊を選んだり、聖霊に何かを明け渡したりする、

 

という行為自体がそもそも成り立たなくなる。

 

選べる、ということは、選択できる他の何かがあり、

 

明け渡すということは、他に明け渡せる何か(エゴ)

 

がある、ということを意味する。

 

なので、この部分は自我で間違っていて、

 

これは聖霊の正しい部分、というのは存在し得ない。

 

 

もし、聖霊に訊いた結果、このレストランより、

 

あのレストランで食事をすることにしたのなら、

 

他のレストランで食事をすれば、

 

それは間違っているということになる。

 

だから、聖霊に訊いて、何をするかを決めたり、

 

聖霊の導きでどこかへ行って何かをすることになった

 

などということ自体、今の僕の中ではあり得ない。

 

 

なぜなら、

 

聖霊しか真実ではないのなら、選択の余地などなく、

 

どんなことがあってももう、神しかないはずなのだ。

 

僕達はただ、そこに〝信〟を置くだけでいい。

 

f:id:shusaku1:20181031010831j:plain

↑ もうすぐ兄弟てっちゃんが、こんな感じの、

   素敵なヘッダーを創ってくれる予定なのだ!

 

そうやって、自我の不在が理解できてくると、

 

何かをしている自分や兄弟はなく、よって、

 

誰にも罪なんかないことが、おのずと解かってくる。

 

 

ただ、誤解を避けるために言うならば、

 

自我はある、と、無意識の心が信じている間は、

 

やはり、聖霊を選択する訓練をするべきだし、

 

自我の想いを聖霊に明け渡す実践を続けるべきだ。

 

そうやって、ある段階まできたとき、

 

ああ、自我なんて、もとからなかったんじゃん、と、

 

真の理解が起こるのだろう。

 

f:id:shusaku1:20181031010917j:plain

 

というわけで、香港は秋本番、

 

摂氏20度の爽やかな日が続いている。

 

飛び回ることに疲れている僕は、

 

今週はもう、絶対に飛行機には乗らない、

 

絶対に出張しない、と決心を新たに過ごしている。

 

 

あっ、いけない、これって自我? ううん、大丈夫。

 

だって、聖霊を選んだ時点で、こういうのも含めて、

 

もう完璧な〝聖霊〟の導きの中にいるんだから…。

 

(↑ うわっ、でたあーっ!ご都合奇跡講座!)

それでもあなたはやってない

f:id:shusaku1:20181024213813j:plain

↑ フィリピン工場からの風景

 

最近、ようやく、

 

兄弟を完全に無罪として観れるようになった。

 

観ようとするのではなく、そう観えるのだ。

 

そして、兄弟に完全な無罪を差し出すことが、

 

今の僕にとっての赦しであり、救済となっている。

 

 

面白いことに、兄弟を無実として開放しだすと、

 

これまで自動反射的に湧き起こってきていた

 

〝妄想復讐劇場〟がピタっと止んでしまった。

 

 

スーパーのレジで、前の客がもたもたしただけで、

 

即行、相手に対して有罪宣言を発令し、

 

心の中でさまざまな復讐妄想を繰り広げていたのに、

 

そんな妄想の泡ぶく自体が発生しなくなったのだ。

 

 

僕達は、赦しの実践の中で、

 

〝何かをしている誰かはいない〟とか、

 

〝罪なんてない〟と頭の中では宣言しながらも、

 

他者が見せる小さな行為に、ムカつき、イラつき、

 

断罪したりする段階を通ってゆくのだが、

 

それでもなお、

 

聖霊の訂正を受け容れる心の訓練を続けていると、

 

全ての人の背後に、同一のキリスト(J)を見て、

 

「あっ、本当に兄弟は無罪だ。無辜でしかない。」

 

と、はっと心から腑に落ちる瞬間がやってくる。

 

これは、一瞥体験などで悟ったりするより、

 

より確実で堅固な瞬間だ。

 

 

こうなってくると、

 

自分が香港にいようと、北朝鮮にいようと、

 

億万長者であろうと、無一文であろうと、

 

幸せな家庭の主婦であろうと、風俗嬢であろうと、

 

習近平であろうと、安倍であろうと、トランプであろうと

 

まったく、ぜんぜん、これっぽっちも関係なくなる。

 

だって、もうみんな、

 

無罪であることが確定しているから…。

 

f:id:shusaku1:20181024213809j:plain

 

それで、今日、税務局から僕宛の文書を受け取った。

 

香港では自分で所得税の申告を行なうのだが、

 

企業側は企業側で、今年、この社員に、

 

これだけの給料を支払いましたと税務局へ申告する。

 

 

僕は給料を全て日本でもらっているが、

 

所得税は香港で支払っているので、

 

うちの会社は、香港の税務局に毎年、

 

星谷周作という社員にこれだけの給料を払いました、

 

という申告を行なっていた。

 

まあ、日本への査察はほとんど入らないので、

 

当時の総経理も僕も、低い額で申告していたのだが、

 

それが今日、どうしてこんなに申告額が低いのか、

 

という、説明要請の通達が会社へ来たのだ。

 

 

当時は、何の気なしにやっていたが、

 

これって、よくよく考えれば、立派な脱税である。

 

もちろん、今の僕は、すぐに会計士と相談し、

 

修正申告を提出して、追徴課税も含め、

 

ちゃんと税金を支払うつもりでいるのだが、

 

当時の自分は、ただ、みんなもやってるし、

 

ま、いっか、くらいの気持ちでやっていたのだと思う。

 

 

それでもやっぱり、

 

「当時の自分に罪はない、間違いは罪ではない。」

 

と、当時の自分に宣言してやる。

 

ただ間違っただけなんだから、今この瞬間に、

 

訂正すればそれで済むことだ、と…。

 

 

過去の自分に無罪を宣言することで、

 

過去の自分が〝しでかした〟と思っている事を

 

赦し、解放するのだ。

 

 

そうやって、

 

隠蔽している過去の罪悪感に光を当てる。

 

そんなものは、はなから存在せず、

 

自分も、兄弟も、自分の過去も、兄弟の過去も、

 

全て無罪であると認識してゆく。

 

 

とまあ、そんな感じで、今日は他者だけでなく、

 

過去の自分にも無罪を宣言することを学んだ。

 

f:id:shusaku1:20181027142101j:plain

↑ 朝5時半のクラーク国際空港

 

それにしても、

 

先週の〝行列の出来る法律相談所〟で、

 

SHOCK EYEの画像をケータイの待ち受けにすると

 

運気が上がり、いいことが次々に起こる、

 

と言っていたので、早速やってみたら、あくる日、

 

この〝税務局申告事件〟が起こった。

 

きいぃーーっ!

兄弟まるごと無罪宣言!

f:id:shusaku1:20181027142111j:plain

 

怒涛の一週間が過ぎ、ようやく週末がやって来た。

 

今週はフィリピン出張の後、香港に社長が来たりして

 

あちこち移動しまくったため、肉体的にクタクタだ。

 

新社長とは、金曜の朝に個人面談をした後、

 

午後から銀行回りをした。

 

前回、中国銀行や東京三菱銀行から断られ続けた

 

香港支社の口座開設を、ようやくあの、

 

みずほ銀行が引き受けてくれることになったのだ。

 

 

というのも、中国の共産党幹部たちが、

 

大量の外貨を、香港の銀行経由で、

 

スイスやイギリスのケーマン諸島の銀行に、

 

マネーロンダリングしていたことが発覚し、

 

中央から香港の銀行に膨大な圧力がかかった。

 

それで、どこの銀行も、

 

新規取引に慎重になっているのだった。

 

 

しかしこちらとしても香港に口座がなければ、

 

香港での取引先や業者への支払いを、

 

全て日本側で処理せねばならなくなる。

 

さて、どうしたものかと思っていたところ、

 

コンババ部長が日本でみずほに口座を開設し、

 

そのコネで香港でも口座が開ける運びとなった。

 

さっすがコンババ部長、やるときはやる。

 

f:id:shusaku1:20181027142117j:plain

 

みずほ銀行香港支店は、有名芸術家が設計した、

 

最高にスタイリッシュなビルに引っ越したばかりで、

 

香港島が一望できる会議室で先方と面会した。

 

担当者の方もとても優しい方で、分かり易く、

 

口座開設について説明してくださった。

 

 

夜は、山梨中銀の駐在代表と会食をした。

 

僕が口座開設ができずに困っていた時、

 

親身になって相談にのっていただき、

 

頼れる兄貴のような存在のひとだった。

 

みずほで口座開設ができると聞いて、

 

本当によかったねえ、と喜んでくださった。

 

中国精進料理の店へ連れて行ってもらい、

 

社長も含め食事を楽しんだ。

 

 

社長も、銀行の人も、フィリピン工場の人達も、

 

本当に優しい。

 

 

そう言えば、

 

たとえ、どんな瞬間でも、どんなことがあっても、

 

絶対に絶対に、僕は兄弟を罪人にしない、

 

兄弟を無罪としてしか観ない、と誓った日から、

 

世界がどんどん優しく変わっていった気がする。

 

 

そういう意味で、自分が与えた意味を見ている、

 

というのは真実だと兄弟たちから学んだ。

 

 

あっ、そうそう。

 

社長との面談では、僕の帰任が来年の3月となった。

 

まだ少し時間的に余裕があるが、

 

まあ、物事はいつも予期せぬ方向へと流れゆくので、

 

どうなるかは全く分からない。 

 

どちらにせよ、僕にできるのは、

 

信を置いた兄弟についてゆくことだけである。

 

f:id:shusaku1:20181027142123j:plain

 

そんな感じで、今週はずっと、

 

〝兄弟に信を置く〟を実践した一週間だった。

 

今この瞬間に顕われる人々の中に観える、

 

キリスト(神の子の本性)に信を置くことに集中した。

 

何があっても、兄弟を、信頼し、解放し、咎めない。

 

 

ここのところ、様々な国へ赴き、

 

そこでは色んな兄弟たちが、僕の眼前で、

 

種々多様なパフォーマンスを見せては去って行く。

 

こんなとき、自分はつくづくスワットだな、と思う。

 

本当は、深い森に囲まれた小さな一軒屋で、

 

志を同じにする同志たちとのみ交流し、 

 

のんびり気ままに暮らしたいのに、

 

そうは問屋が卸してくれない。

 

もしそのような生活になれば、表面上の平安の奥に、

 

分離した罪悪を隠蔽させてしまう可能性があり、

 

あたかも、

 

もう幸せな夢に至ったかのように錯覚してしまう、

 

と、兄貴は踏んでいるようである。

 

 

なので、今の僕にとっては、

 

眼前に顕われる兄弟たちが見張り役であり、

 

導き手となってくれている。

 

だから、そのことだけを取ってみても、

 

兄弟たちには恩義があり〝信を置く〟に十分値する、

 

と思うのだ。

 

 

そんなわけで、今週末はゆっくり惰眠をむさぼり、

 

一週間分のワイドショーを見て、

 

久々にジムで身体を思いっきり動かすつもりである。