香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

沖縄から大阪まで

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↑ 左から、もりGさん、空禾さん、ボク。 

 

沖縄でのリトリートを終え、大阪の実家へ戻ってきた。

 

直前まで、あちこち飛び回り続けていたので、

 

ゆったり時間が流れる暖かい沖縄の地で、

 

コース兄弟たちと祝福された時間を過ごせたとことは、

 

僕にとって、とても平安で貴重な時間となった。

 

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今回のリトリートでは、

 

もう本当に兄弟一人一人が僕の教師だった。

 

みんなが僕の心の中に持っているものを見せてくれ、

 

兄弟全員が一丸となって、優しく、包み込むように、

 

僕の中に持っているものを癒やし、解放してくれた。

 

 

こうやって、兄弟たちのシェアと共に自分を赦すとき、

 

みんなそれぞれ違う赦しのように見えてはいるが、

 

それはたった一つの、

 

〝罪を犯したという思い込み(信念)〟から来ている

 

ということが解かる。

 

赦すのは罪悪感そのものではなく、その基となっている

 

〝思い込み〟だったということも、

 

僕にとっての今回の大きな学びだった。

 

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2日目には、カースティンがやっていた(らしい)、

 

一方が目を閉じたまま、ガイド役の兄弟に導かれながら、

 

目的地まで歩く、というワークもやった。

 

実際、カースティンがどうやっていたかは知らないが、

 

自分でいろいろアレンジをして行なった。

 

 

例えば、

 

1.目を閉じている方は、ガイド役に対し、今、最も、

  赦しどころな相手に導かれている、と感じながら歩く。

 

2.目を開けてしまった時には、あなたを信頼をします、

  と宣言してから再び目を閉じて歩き出す。

 

3.導かれる方は一切言葉を発しない。

 

4.導く方は〝寄り添う〟気持ちと共にガイドをする。

 

5.一番苦手な相手、一番親しくない人とペアを組む。

 

 

参加者が9名で、ペアを組むと一人余るので、

 

言い出しっぺの僕が安全監視員を担うこととなった。

 

PALM CHURUCHの周辺は、海に面した遊歩道もあり、

 

海岸沿いのあずま屋をゴールとした。

 

 

「自分の肉眼で見て歩くより、ガイドに任せた方が、

 

    リラックスできた。」

 

「もっと、ゆっくりゴールに着きたいくらいだった。」

 

「こんな導かれ方なら、どんな人でも赦せる。」

 

と、目を閉じたことで不安になる人は皆無だった。

 

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また、簡単ではあったが、ウツボカズラ大放出もやった。

 

投影は肉体を通して起こる。

 

その際、投影の元ネタが一旦細胞の隙間に留まる。

 

それをウツボカズラで大放出する、という感じだ。

 

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そして何と言っても、リトリートの醍醐味は深夜部にある。

 

(って、そう思っているのは僕だけ?)

 

お酒を飲みつつ雑談の延長線でシェアできるからか、

 

個の自分が隠蔽しているものを出しやすくなるのだ。

 

そうして、何を隠蔽してきたかを語り始める兄弟に、

 

他の兄弟が深く寄り添うと同時に、自分の中にもある、

 

同じ隠蔽を静かに見つめ、赦してゆく。

 

それはまさしく、みんなで行なう共同作業であり、

 

静かで神聖な時間でもあった。

 

 

そして、こんなことを書くとちょっとナンなのだが、

 

深夜部に欠かせないもう一つの楽しみは、下ネタである。

 

例えば、次のリトリートでは、

 

〝ちんこすこう〟を〝漫湖公園〟で食べるワークをしよう

 

とか、昔、僕の実家の近所にあった、

 

〝珍古萬古堂〟という骨董屋さんの話で盛り上がった。

 

(後で知ったのだが、漫湖公園のクジラは潮を吹くらしい)

 

 

ああ、こんなことを書くと、

 

オシャレなPALM CHURCHを目指すもりGさんの眉毛が、

 

ぴくぴくしているのが見える。

 

これも、僕の罪悪の投影なのか…。ゆ、赦すのだ!

 

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とまあ、そんなこんなで、3泊4日の沖縄滞在を終え、

 

空禾さんと那覇空港のお土産屋を駆けずり回りながら

 

なんとか、ちんこすこう、を手に入れることができた。

 

しかも、僕が普通の〝ちんすこう〟しか見つけられない中、

 

空禾さんは、まるで聖霊に導かれるように、さささ、と、

 

即行で、マンゴ味(笑)のやつまで見つけてきて、

 

「香港さん、あった、あった!」

 

と、僕に向かって大きく手招きをするのであった。

 

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大阪はそんなに寒くなかった。

 

あくる日はもう、一日寝ていた。

 

父の認知症も相変わらずで、

 

以前は母に向けられていた〝モノ盗られ〟が、

 

いまは、妹がターゲットとなっていた。

 

「あいつは未だにワシが貸した金を返しよらん」

 

と、プリプリしていた。

 

 

今回の滞在では沖縄で学んだ〝ただ寄り添う〟

 

という赦しを、父母という兄弟たちに助けられながら、

 

完結させていけたらな、と思っている。

 

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↑ 僕たち、実物は〝二割増し〟だよ! 

 

最後に、もりGさんはじめ、

 

何より、縁の下の力持ちで、

 

僕達のお世話をずっとしてくださった、

 

もりGさんの奥様に感謝いたします。

輪廻の少年

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www.youtube.com

 

転生について考えていたとき、たまたま、

 

BS1で『輪廻の少年』というドキュメンタリーを見た。

 

 

チベット仏教の盛んなインドのラダック地方で、

 

5歳の少年が、チベットの高僧であった前世を語りだし、

 

村の僧院でリンポチェ(高僧の生れ変わり)と認められる。

 

チベットの僧院へ少年の存在を伝えたにも関わらず、

 

中国政府に弾圧されているチベットの僧院からは

 

一向に迎えの使者が来ず、とうとう彼が10歳の時、

 

偽のリンポチェだ、として村の僧院を追放されてしまう。

 

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彼にはリンポチェを世話する〝おじさん〟がいた。

 

おじさんは、献身的にリンポチェのお世話をし、

 

彼をあらゆる困難から優しく守る。

 

そして、リンポチェが12歳になったある日、おじさんは、

 

リンポチェを連れてチベットを目指して旅立つ。

 

 

ヒッチハイクや民家に泊めてもらいながら、

 

2か月かけて中国国境の村に辿り着く。

 

しかし、国境は封鎖されており、吹雪の山の中で、

 

とうとう二人は身動きが取れなくなってしまう。

 

そのとき、寒さに凍えながら少年は言う。

 

「おじさんがいなければここまで来られなかった、

 

 おじさんと一緒にいられて嬉しい。」 

 

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最後、国境付近の僧院でリンポチェは、

 

高僧になる為の高度な教育を受けることになった。

 

それはまた、おじさんとの別離を意味していた。

 

雪のない〝エア雪合戦〟をしながら泣き崩れる二人。

 

そして、おじさんは僧院を去ってゆく。

 

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このドキュメンタリーを見て僕が思ったのは、

 

おじさんのリンポチェに対する愛と献身と保護、、

 

リンポチェの純粋さと、全てを受け容れる慈悲の心だ。

 

本当に少年が高僧の生まれ変わりかどうかは別として

 

おじさんは、本来いるべき場所へ少年を帰そうと、

 

懸命に少年の手を引き、寄り添い、導く。

 

その導きにリンポチェの少年も素直に従う。

 

 

どんな人にも導き手はついている。

 

それは聖霊の化身としての兄弟だ。

 

なので、何かにつけ、自分がコントロールしようとする

 

〝わたし〟を脇に置き、周囲にいる兄弟たちに、

 

〝信〟と〝感謝〟と〝敬意〟を持って接するべきだ、

 

と思うのだ。

 

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それで、このドキュメンタリーを何度か繰り返し見た後、

 

自分が造りだしたこの幻想世界(自分の心の中)全てを、

 

もう聖霊兄貴に返してしまっていた。

 

なぜか、自分の世界を聖霊のものとしてください、

 

と、世界をそっくり丸ごと聖霊に返却してしまったのだ。

 

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これからは、目の前にどんなことが展開されても、

 

それは聖霊の心の中で起っていることであり、

 

終わってゆかせるために顕われていることとなる。

 

 

もう、本当の意味で、

 

自分でコントロール必要も、決断する必要もないのだ。

 

リンポチェのように、兄貴の導きに付いて行くだけだ。

 

 

そうして、僕の世界が聖霊のものになってしまった、

 

と思った瞬間、全てが〝ここ〟にあったことを智った。

 

自分が作ったと思い込んでいる世界丸ごと返したら、

 

全てが与えられた。

 

 

これからも、いろんなことが起きてゆくだろう。

 

スマホも失くせば、パソコンも壊れるだろうし、

 

大切な人と別れることになるかもしれない。

 

それでも、自分は全てを〝ここに〟持っている、

 

という圧倒的な理解が起きている。

 

 

そうは言っても、僕はまだ時間の中にいるので、

 

今後は、肉体を脱ぐまでは聖霊と世界を共有しながら、

 

やるべきことをやってゆくことになるのだろう。

 

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 というわけで、いま、沖縄のPALM CHURCHにいる。

 

今回もまたまた、なぜかわからないのだが、

 

カウンターへ行くとビジネスクラスに変えられていた。

 

空港ラウンジも使え、おかげでゆったり過ごせた。 

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沖縄は暑かった。半袖で十分過ごせる。

 

海流のせいか、香港より全然暖かい。

 

 

丸ごと聖霊兄貴と化してしまった世界で、

 

4日間、コース兄弟たちと濃密な時間を過ごす。

兄弟よ!根性で赦すのだ!

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〝聖霊が唯一あなたに求めることは、

 

 ほんの少しの意欲だけである。〟

 

とか、

 

〝それが、あなたがすべき唯一のことである。

 

とか、

 

〝神の子の唯一の機能(はたらき)は…。〟

 

 

などなど、

 

 奇跡講座って、唯一、唯一、と言う割には、

 

至る所に色々な唯一が出てきて、

 

ちょっと多すぎやしないか、と思ってしまう。

 

だって、

 

唯一というのは〝ただ一つ〟ということだから、

 

こんなに唯一があったら、唯一でないじゃん、

 

て、思わずツッコミを入れたくなる。

 

 

まあ、

 

ひとつの事を多方面から表現しているんですっ、

 

と言われればそれまでだが、

 

なあんか、ご都合スピみたいで、変な感じがする。

 

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↑ ああ、フィリピンの夜は更けて…。



それで、

 

いろいろな〝唯一〟(笑)をよく確認してみると、

 

根底には〝神を選びたいとい意欲〟があった。

 

そして、意欲って一体なんだろうと考えたとき、

 

意欲とは〝根性〟である、という結論に至った。

 

いや、冗談ではない。真面目に言っている。

 

 

ここからは、あくまで私見なので、

 

軽い気持ちでお聞きいただきたいのだが、

 

〝頑張らなくていい〟〝自分でやらない〟

 

〝全部兄貴に委ねる〟〝聖霊に訊く〟

 

などと言うと、一見、根性とは無縁のようだが、

 

ようく、ようく、見てみると、頑張らないのだって、

 

頑張らないための根性が必要だし、

 

聖霊に委ねるにしても、

 

エゴに警戒するための〝根性〟を要する。

 

初期のフランシスなんてどう見たって、

 

〝スポ根漫画〟そのものではないか。

 

〝意欲〟などというと、上品に聞こえるが、

 

要は、根性を出すかどうか、ということなのだ。

 

別の言い方をすれば、

 

赦しが進み、聖霊に委ねきるようになるまでは、

 

根性で頑張る段階も必要だ、ということである。

 

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↑ HAPPY BUSINESS TRIP!  

 

ダイエットや筋トレや禁煙なんかも、

 

身体が順応するまでの数か月は死ぬほど辛いが、

 

それでもちょっと歯を食いしばってやっていくと、

 

あるときから、そんなに苦しくなくなってくる。

 

ロケットなども、大気圏を突き抜けるまでは、

 

ものすごい燃料を使い、重力の抵抗に遭いながら

 

必死で大気圏を突破しようとするするが、

 

一旦宇宙へ出てしまえば、後は勝手に進んでゆく。

 

 

だから、

 

自分はもうこんな世界にいたくない、もう嫌だ。

 

自分は平安だけを求める、と、宣言してから、

 

自我の大気圏を抜けるまでは、

 

別に〝ガムシャラ〟でもいいと思うのだ。

 

そうやっているうちに、聖霊が操縦席に座り、

 

あとは自動で運ばれてゆく。

 

 

〝聖霊があなたに求める唯一の事は、

 

 ほんの少しの〝根性〟だけである。〟