香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

お年頃な季節

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何故だか分らないのだが、ここへ来て、

 

元コンババ部長(前社長の妹の旦那/47歳/体重90kg)

 

に対する投影が止まらない。

 

 

僕が他の人へ出したメールに、ダメ出し返信をしてくる。

 

僕が、本社の財務の女性と電話で業務の話をしていると

 

突然受話器を奪い、一方的にしゃべって電話を切る。

 

英文の書類の意味がよく分らない、といった些細なことで

 

いちいち電話を掛けてくる。

 

 

まあ、40代後半のサラリーマンというのは、

 

様々な仕事や人生の経験を積んで昇進もし、

 

だがまだ若さも残っていて、少々の無理をしても平気だ、

 

という、男として最も旬な時期だと言える。

 

それだけに、ついつい勘違いしてしまうのもこの年齢だ。

 

経験不足な部下の欠点をこと細かく矯正したくなったり、

 

立場が下の人への振る舞いが微妙に横柄になったり、

 

業者さんに理不尽な要求をして断られたりすると、

 

「もう使わない。」と、理不尽な振る舞いに出たりする。

 

しかし、

 

本人は自分のことを〝イケてる〟と思っているので、

 

無意識にやっている自分の行動に全く気づいていない。

 

 

僕の場合は、30歳から海外駐在を始め、

 

現地で早くに部下を持ったため、

 

その勘違いが普通の人より、かなり前倒しで訪れた。

 

その頃の自分を思い出すと、本当に恥ずかしく、

 

僕のもとで働いてくれて人たちに対して、

 

申し訳ない気持ちで一杯になる。

 

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で、夜、家のソファに座り、静かに目を閉じた。

 

 

今まさにそういう〝お年頃〟な元コンババ部長を通して、

 

当時の自分を赦す。

 

 

投影のシステムを凝視する。

 

神への恐れをじっと注視する。

 

何の解釈も入れず、ただ沈黙の中で観る。

 

 

沈黙しながら、ただ神の想いを〝感じ〟ていると、

 

深い平安の中から何とも幸せな感覚が上ってきた。

 

だが、いざ、その中へダイブしようとすると、

 

途端に雑念が湧き起こり、さっと、我に戻されてしまう。

 

まるで〝天城越え〟の寸止め状態である。(笑)

 

 

まあ、いっか。

 

こうして少しずつ、赦しながら父へ向かってゆけばいい。

 

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愛の裏返し

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⇑ みんなデモの時は黒い服を着る

 


今日は返還記念日の祝日で香港はお休みだった。

 

僕はと言えば、

 

スーパーで安売りしてたカットフルーツに当たり、

 

連休中ずっと下痢をしていた。

 

お腹は、グルグルとピーピーの中間くらいの緩さで、

 

何かを食べると30分くらいして、シャーッと来る。

 

 

それでも、連休三日目の今日、午後になって、

 

食料の買い出しをしようと、街へ出てみれば、

 

な、なんと、通りに人が歩いていない。

 

祭日なのに、ショッピングモールもガラガラだ。

 

一瞬、アセンションでもしてしまったのか、と思った。

 

ああ、そうか。みんなデモに参加しているのだ。

 

そうこうしているうちに、僕のお腹がピーピー鳴り始め、

 

急いで買い物を終えると、家路を急いだ。

 

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夜、ニュースを見れば、今日のデモの参加者は、

 

国営テレビの発表では55万人らしいが、

 

民間測量団体のカウントでは200万人で、

 

過去最高なのだという。

 

香港の人口が700万人だから、3.5人に一人が、

 

デモに参加したことになる。

 

まあ、通りから人がいなくなるくらいだから、

 

僕の感覚的には、200万人が正しいのだと思う。

 

結果、デモは夜の10時まで続き、

 

逃犯条例の完全撤回と、行政長官の辞任を求め、

 

人々は立法局を占拠するに至った。

 

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⇑ 下台 とは引退のこと 

 

前回の記事で〝同じ〟ということについて書いたが、

 

愛と恐れも同じものなのだ、と今回のデモを見て感じた。

 

 

愛を求める懇請、とか、難しい言葉を使ってはいるが、

 

早い話がこれは、小学生男子のスカートめくりのように、

 

好きな女の子が嫌がるような行為を敢えてすることで

 

相手の気を惹こうとする〝好きの裏返し〟と同じだ。

 

それはまた、父に対する〝愛の裏返し〟でもある。

 

 

一見、映像的には、外の世界にいる誰かが、

 

愛を求めて叫んだり攻撃したりしているように見えるが、

 

本当は、全部、自分の心の中で起きており、

 

デモも僕の心の中で起きている。

 

僕たちはいまだ、スカートめくりを止められないのだ。

 

 

聖霊兄貴を通し、

 

愛の裏返しを赦すことで、愛の裏返しを裏返す。

 

そうやって、ストレートに父の愛を思い出してゆくのだ。

 

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差のない夢

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⇑ 旧日航ホテルで開催された地銀の交流会に参加。

   名刺交換もそこそこに、

   白ワイン⇒おでん⇒赤ワイン⇒焼き鳥

   を繰り返すボクであった。

 

ああ、怒涛の6月もやっと今日で終わりだよぉ。

 

今月は、出張と引越しの準備で、本当に忙しかった。

 

色々な国へ行き、色々な人に逢い、色々な話をした。

 

それに、引越しの準備も佳境に差し掛かっている。

 

先日も、住所変更の手続きにおおわらわだった。

 

ケータイ電話会社、香港の銀行と日本の銀行、

 

保険会社、郵便局の郵便物転送サービスの手続き、

 

など、暑い中、一日中、あちこち駆けずり回った。

 

これまでは、ケリーが全てやってくれていたのだが、

 

いまは全部自分でやる。(⇐ ちょっとドヤ顔)

 

それに、年齢を重ねると、全てのことが億劫になる。

 

 

それでも引越しには、これまでの生活をリセットしたり、

 

家に溜まったさまざまなガラクタを捨てまくったり、

 

今の自分の意識に合った部屋造りができたり、と、

 

新しい地域で、新しい暮らしを始めるワクワク感がある。

 

なので、次々に顕われては消えてゆく夢の映像を前に、

 

無意識の中へと埋没してしまうことなく、ひとつひとつ、

 

これは夢だと観止め、丁寧に赦してゆこうと思っている。

 

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⇑ かつて3万人いた香港在住日本人も、

    ついに9000人になってしまった。

    原因は業務が中国へシフトしたのと家賃の高騰。 

 

で、夢を夢として赦していくことを通して見えてきたのが、

 

「世界のあらゆる問題は、どれもみな〝同じ〟である。」

 

という感覚である。

 

失業、病気、というような一見重大に見える出来事も、

 

車で横入りされた、というような些細に見える出来事も、

 

何ら相違のない、全く同じものとして感覚化されてくる。

 

その〝同一な感じ〟は、言葉ではうまく説明できない。

 

差がない、とか、差を見ない、というのでもなければ、

 

ただ在るだけ、とか、起きていないが故に同じだ、

 

というのでもない。

 

また、AであってもBであっても、どちらでもオーケー、

 

というような、選択の基準のことを言っているのでもない。

 

どんな夢を見ようが〝同じ〟としか言いようがない。

 

 

これはあくまで僕の場合であるのだが、

 

引越し準備であたふたしている時はあたふたしているし、

 

家でワイドショーを見て、あーでもない、こーでもないと、

 

ツッコミを入れつつ、くつろいでいる時はくつろいでいる。

 

だけど底辺には常に〝同じ〟という感覚が流れている。

 

 

また〝同じ〟〝序列がない〟に関して誤解しやすいのが、

 

大切な人を亡くすのと、財布を失くす事に差はないので、

 

感じ方の程度も同じである、と思ってしまう点である。

 

そうではなく、大切な人を亡くせば、死ぬほど悲しいし、

 

財布を失くせば、焦るには焦るが、警察へ届けたり、

 

カードを止めたりと、理知的な行動が取れたりする。

 

それでも、世界は存在していない、と認識しており、

 

目が覚めれば跡形もなくなってしまう世界に於いて、

 

ふたつの事柄は同じであることを了承している。

 

 

まあ、僕もプロセスの途中であり、この〝同じ〟

 

という感覚はどんどん深化してゆくと思われる。

 

 

なんか、言葉の限界が来てしまったところで、

 

もう寝ることにする。

 

おやすみなさい。