香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

交歓

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⇑ 新しいアパートの窓からの風景

 

昨日は終日お引越しだった。

 

まず、引越しが始まる時間より少し前に、

 

ヤマト運輸の日本人コーディネーターの方がいらして、

 

捨てるものと、持って行くもの、持ち運び注意のもの、

 

などを分類し、それぞれにテープを張る作業を行なった。

 

作業が済むと、新しいアパートの見取り図を見ながら、

 

家具や電器製品を、どの部屋のどこに置くかを決め、

 

今度は、小物類の収納場所を、配置図へはめこんでゆく。

 

 

確認作業が済み、コーディネーターの方が、

 

ケータイでなにやら合図をしたと同時に、

 

突然、クロネコヤマトの制服を着たお兄さんたちが、

 

ドバーッとやってきて、一斉に作業を始めた。

 

おまかせ楽々パックなので、僕は何もしなくてもいい。

 

食器も、衣服も、書籍類も、全てそのまま箱に詰め、

 

引越し先で、決められた通りにディスプレイしてくれる。

 

みんな男だし、と、パンツもお兄さんに梱包してもらった。

 

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昼休みを挟み、

 

午後から引越し先のアパートでの荷ほどきが始まった。

 

これもまた最速で、システマチックだった。

 

何をどこへ置くかを事前に打ち合わせているので、

 

その通りに、ガンガン家具や物を並べて行ってくれる。

 

電子機器の接続や、洗濯機の配管までやってくれ、

 

二時間ほどで、そのまま生活できるようになった。

 

さっすが、プロ。ヤマトさんはすごい。

 

 

ヤマトさんと入れ替わりに、

 

香港テレコムのお兄さんがやってきて、

 

インターネットの設置工事をしてくれた。

 

日本のテレビだけでなく、香港のテレビも、

 

ネット回線で見れるようになり、感激!

 

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このように、アパート探しから引越しまで、

 

今回は、本当に多くの人たちのお世話になった。

 

ていうか、読者の方々はもうご存知だと思うが、

 

僕は、人に頼り、助けてもらうのが大好きである。

 

よく、人に何かやってもらうと、

 

借りを作るようで嫌だ、という人や、また、

 

金を払うんだからちゃんとやれよ的な人がいるが、

 

心の中で起っているのは、そういうことではない。

 

 

誰かに何かをお願いする時、

 

自分は同時に感謝を与えているのだと思う。

 

助けて、と願い出て、

 

相手がしてくれた行為に歓びを感じ、

 

代わりに心からの感謝を返す。

 

また、その逆もしかりである。

 

結果が良くても悪くても、そんな事はどうでもよい。

 

このとき、僕たちは、ひとつの体験の中で、

 

神の気持ちを交歓し合っているのだ。

 

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⇑ アパートの近くの鍵屋さんで合鍵を作ってもらう。

  一見、この道一筋の頑固おやじに見えるが、

  作ってもらった鍵は、笑っちゃうくらい全く合わず、

  (見れば、鍵の長さ自体が違ってたりした。)

  結局、別の 鍵屋さんで作り直してもらった。

 

片づけも終わり、夜、コーズウェイベイを散策してみた。

 

ここは、香港の中枢、中心部中の中心部なので、

 

(そう。デモが行われているのもこの地域。)

 

「自分は今、香港のど真ん中に住んで、るぅぅーっ!」

 

と思えば、自然とテンションも上がる。

 

以前のアパートは山の中にあったため、

 

夜、腹が減っても、我慢するしかなかったが、

 

ここだと、夜中でも気軽に買い出しに出られるうえに、

 

庶民的な店からオシャレなカフェまで何でも揃っている。

 

これはヤバい、無駄遣いするのは目に見えている。

 

 

タイムズスクエアで爆買いする大陸の人たちを横目に、

 

財布のヒモを引き締めねば…と固く誓うボクであった。

 

 

いま、ふたたびの、ハート

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昨日は、

 

新しいアパートの大家さんと、部屋の引き継ぎをした。

 

三宝不動産のトンさんと、新しいアパートへ向かえば、

 

部屋は新しく漆喰が塗られ、きれいに清掃されていた。

 

聞けば、大家さんが、

 

昨夜遅くまで掃除をしてくれていたのだという。

 

 

大家さんは40歳くらいの、穏やかな感じのご夫婦で、

 

子供はいないらしい。

 

「この部屋でハッピーな事がたくさんありますように。」

 

と言って、大家さんの奥さんから鍵を手渡された。

 

その瞬間、

 

何とも言えない幸せな気持ちが込み上げてきた。

 

素敵な大家さんに出逢えて、本当に幸せ!

 

 

この幸せな気持ちを経由して、神の悦びに繋がってゆく。

 

小さな喜びをきっかけにして、ハートに入ってゆくのだ。

 

そういう意味で、小さな喜びはハートの入り口でもある。

 

また、罪悪感でさえも、神の悦びだったことに気づく。

 

要するに、僕たちはすでにハート感じまくりなのに、

 

解釈を間違っているが故にヘンなことになっているのだ。

 

 

兄弟が成す行ないにイラッとくるとき、

 

一瞬立ち止まり、解釈が間違っていたことを認識した後、

 

ただ沈黙して、神の想いを待つ。

 

ハートを自分に取り込もうとせず、ただ待つ。

 

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大家さんが去った後、色々と買い物に出かけた。

 

ウォークインクローゼットに入れる、

 

キャスター付きのハンガーラックをあちこち探しまわった。

 

ああゆうのって、どこに売っているか分からない。

 

何軒もホームセンターを回ってやっと見つけた。

 

 

というわけで、明日は引越しである。

 

新しいアパートは、コーズワイベイのど真ん中、

 

日本で言えば渋谷のど真ん中にあるようなものなので、

 

これからは、どんどん人を部屋に招待して、

 

小さなサロンのようにしたいと思う。

 

大家さんが言ってくれたように、

 

楽しいことがたくさん起こる部屋にするのだ。

 

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買物をして、アパートに戻ってきた

 

毎日挨拶する守衛のおじさん、

 

毎朝、朝食を買う、おむすび屋のおばさん、

 

毎晩、壁を伝って遊びに来るヤモリの親子、

 

隣の家の父親が、宿題をしない娘を叱る声、など、

 

これまで見過ごしてきたような小さな風景が、

 

今日が最後だと思うと、とても感慨深く感じられる。

 

 

多分、永遠に父が待つ故郷へ旅立つその直前にも、

 

同じような感慨が湧き上がってくるのかもしれない。

 

でもその時の自分(自分がまだあるとすれば)は、

 

自分一人が旅立つのではないと知っているはずだ。

 

ひとつになったみんなで一緒に戻ってゆく。

お年頃な季節

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何故だか分らないのだが、ここへ来て、

 

元コンババ部長(前社長の妹の旦那/47歳/体重90kg)

 

に対する投影が止まらない。

 

 

僕が他の人へ出したメールに、ダメ出し返信をしてくる。

 

僕が、本社の財務の女性と電話で業務の話をしていると

 

突然受話器を奪い、一方的にしゃべって電話を切る。

 

英文の書類の意味がよく分らない、といった些細なことで

 

いちいち電話を掛けてくる。

 

 

まあ、40代後半のサラリーマンというのは、

 

様々な仕事や人生の経験を積んで昇進もし、

 

だがまだ若さも残っていて、少々の無理をしても平気だ、

 

という、男として最も旬な時期だと言える。

 

それだけに、ついつい勘違いしてしまうのもこの年齢だ。

 

経験不足な部下の欠点をこと細かく矯正したくなったり、

 

立場が下の人への振る舞いが微妙に横柄になったり、

 

業者さんに理不尽な要求をして断られたりすると、

 

「もう使わない。」と、理不尽な振る舞いに出たりする。

 

しかし、

 

本人は自分のことを〝イケてる〟と思っているので、

 

無意識にやっている自分の行動に全く気づいていない。

 

 

僕の場合は、30歳から海外駐在を始め、

 

現地で早くに部下を持ったため、

 

その勘違いが普通の人より、かなり前倒しで訪れた。

 

その頃の自分を思い出すと、本当に恥ずかしく、

 

僕のもとで働いてくれて人たちに対して、

 

申し訳ない気持ちで一杯になる。

 

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で、夜、家のソファに座り、静かに目を閉じた。

 

 

今まさにそういう〝お年頃〟な元コンババ部長を通して、

 

当時の自分を赦す。

 

 

投影のシステムを凝視する。

 

神への恐れをじっと注視する。

 

何の解釈も入れず、ただ沈黙の中で観る。

 

 

沈黙しながら、ただ神の想いを〝感じ〟ていると、

 

深い平安の中から何とも幸せな感覚が上ってきた。

 

だが、いざ、その中へダイブしようとすると、

 

途端に雑念が湧き起こり、さっと、我に戻されてしまう。

 

まるで〝天城越え〟の寸止め状態である。(笑)

 

 

まあ、いっか。

 

こうして少しずつ、赦しながら父へ向かってゆけばいい。

 

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