香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

みんな終了する

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⇑ いつもこの店で夕飯のチャーシューを買う。 

 

今朝、歯を磨きながら、鏡を見て思った。

 

「なんか最近、若返って来てるかも。」 と…。

 

 

僕はあと、ほんの数年で〝定年〟を迎えるのだが、

 

数年前より、確実に皺と脂肪が減少している。

 

これは、自慢でも何でもなく、ただ素朴にそう思える。

 

 

その程度たるや、

 

筋トレしてるから、とか、食べ物に気をつけているから、

 

といった域を、はるかに超えているような気がする。。

 

 

そんな僕に拍車をかけるように、トレーナー氏から、

 

「星谷さんの年齢で、110キロのバーベルを、

 

   10回挙げるなんて、ボディビルダーでも大変ですよ」

 

と、感心されたり、

 

ヘアカットをお願いしているデザイナー氏からも、

 

「最近、何か、特別なヘアケアとかされてます?

 

   白髪がなくなってるし、髪の毛の量も増えてますよ」

 

と、驚かれたり…。 そして、トドメは、

 

3年ぶりに会った台湾人の友人から言われた、

 

「なんだその若さは。お前は妖怪かっ!」の一言だった。

 

 

何かのサプリを飲んでいるわけでもなく、

 

これといったスキンケアもしていない。

 

 

全身がハートそのものになると肉体を維持できなくなる、

 

と、前回の記事でも書いたが、

 

バリバリ維持しまくっている僕って、一体どういうこと?

 

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でも、この年齢になると思うのだ。

 

やっぱりこの世界、年とって終わるんじゃん、って…。

 

僕がいくら若返っても20歳にはならないし(なるかも…)、

 

どんな栄光栄華に包まれた人生を送っても、

 

やっぱり最後は、シワシワの身体を脱いで無と帰する。

 

そしてまた、生まれ変わっては、年をとって終了し、

 

再度生まれ変わっては、年をとって終了、と、

 

このループを延々、リピート、リピート、するだけである。

 

 

こう考えてみると、僕たちの苦しみの元凶は、

 

自分はまだまだ死なない、という根拠のない信念にある

 

と言える。

 

 

だって、自分が、どんなにビンボーでも、

 

どんなに愛憎相まみえていようとも、

 

明日をも知れぬ病に侵されていようとも、

 

また、どんなに幸せの絶頂にいようとも、

 

そんな事とは全く関係なく、必ず終了するではないか。

 

 

こんなものに普遍の意味を見い出して苦しむ価値など

 

果たしてあるのか、

 

答えは、スピなどやるまでもなく明白である。

 

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しかし、最大のホラーは、周囲の人たちが全員、

 

何かに憑りつかれたように、神を無視して、

 

日々の生活だけに没頭していることである。

 

神や幻想世界がどうのこうの、などと言おうものなら、

 

あの人はヘンな宗教に洗脳されている、と、

 

言わんばかりの勢いで変人扱いされるのがオチである。

 

 

自分が本当は何者であるのかもわからずに、

 

どうして、日々の生活を頑張れるのだろう。

 

自分が身体を脱いだ後どうなるのかもわからないのに、

 

なんで、結婚だ、子供だ、孫だ、と言えるのだろう。

 

遅かれ早かれ終了してしまうのに、何ゆえに、

 

アイツは中国人だ、貧乏だ、ブサイクだ、と言えるのか。

 

 

何が言いたいのかというと、

 

この世界はおかしい、ということである。

 

疑うことから、この世界のウソに気づいてゆく。

 

頭ではなく、真にこんなのヘンだと理解してゆくのだ。

 

そうすることで、

 

現実で何が起こっても笑っていられると思うから…。

 

 

よちよち神の子

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⇑ ドリアンをさばく果物屋の兄ちゃん

 

自分が世界を見ている眼差しが、実は神の眼差しだった

 

という事実を、ひしひしと感じている今日この頃である。

 

 

肉体の自分が神の反映を観ているのではなく、

 

神側から神の存在感として世界を観ている。

 

そうすることで、全てが神であり、また全てが幻想だ、

 

と、完全な体験が起こってくる。

 

 

とは言っても、完治したての多重人格者のように、

 

僕もまだ、復帰ホヤホヤの〝よちよち神の子〟なので、

 

まだまだいろいろと、リハビリが必要な身なのであるが、

 

まあ、焦らず、少しずつ神を馴染ませてゆくつもりである。

 

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そんなわけで(ってどんなわけ?)、

 

最近、いろんな果物にハマっている。

 

というのも、僕が住む家の下の通りが市場になっており、

 

ジントニックに入れる檸檬を買ったりしているうち、

 

店の兄ちゃんと親しくなり、いつの間にか、

 

仕事帰りに様々な果物を買って帰るようになった。

 

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で、昨夜はイチジクが出ていたのでひと盛り買った。

 

日本のより小粒で、色もそんなによくないのだが、

 

普段、イチジクを食べる機会などないので、

 

試してみたくなったのだ。

 

 

食してみると、よく熟していて美味しい。

 

イチジク特有の渋みのある甘さも赤ワインに合う。

 

 

だが、ペロリとふたつ食べてしばらくすると、

 

腹全体がドーンと重だるくなり、

 

胃がキリキリと痛みはじめた。

 

ネットで調べてみれば、無花果には、

 

アクの成分であるホルムアルデヒトという

 

強い抗ガン作用のある物質が含まれており、

 

食べ過ぎると胃痛や嘔吐を引き起こすらしい。

 

 

ううーっ、く、苦しいぃぃ…。

 

 

夢の中で、夢の主人公である自分が、

 

無花果を食べすぎるという夢を見ながら、

 

イタタターッ、とやっている。

 

 

神を感じて、イタタターッ、とやっている。

 

 

大好きが止まらない

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これまでは、友人、通りすがりの人、リンゴ、音楽、など、

 

見たり聞いたりするものの奥に神の反映を感じて、

 

〝ヒンヒン〟と天城越えしていたのだが、

 

ここへ来て、見たり聞いたりするものを通してではなく、

 

ダイレクトに全一の神の世界を現実だと認識しながら、

 

この幻想世界に存在しつつある。

 

そうすると、この世界や、肉体の自分は〝無〟だ、

 

と完全に分かるので、幻想をリアルにしなくなる。

 

もう、神の反映として兄弟や世界を見るのではなく、

 

神そのものの存在感の自分が夢を見ている。

 

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それでも、日常生活ではまだ、あの人がどうしたこうした、

 

と、解釈する〝自分〟は残っている。

 

神に触れ、神の存在感そのものでいるのに、

 

なんで解釈が起こるのだろう、と疑問に思ったが、

 

その自分すらも夢で〝無〟だった。

 

 

そこで、ひとつ分かったことがある。

 

それは、この世界は幻想で、無で、起こってもなかった、

 

と、真の理解が起こるには、先ず先に、

 

幻想ではない世界、つまり神の世界に触れる必要がある、

 

ということだ。

 

世界は無かった、が先なのではなく、

 

神は在った、が先手なのだ。

 

なぜなら、

 

幻想に代わる世界(神)が見えていないのに、

 

いくら、世界は無い、幻想だ、それは起こってない、

 

とやっても、本当に世界は無かったんだあーっ、

 

という〝体験と理解〟が起こっていないので、

 

恐怖で苦しくなってくるのだ。

 

 

しかしながら、もし、世界は無だ、と、

 

完全に100%認識しながら存在するようになれば、

 

身体は数年しか維持できなくなるらしい。

 

 

あっ、そう言えば、

 

ハレ師匠の肉体の〝スカスカ感〟もハンパなかった。

 

ということは…、ええっ…?

 

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という感じで、毎度おなじみフィリピンにいる。

 

今回は、財務の女の子たちが、

 

僕を韓国焼肉ランチに招待してくれた。

 

 

フィリピンの事務職員の給料は大体3万円くらいなので、

 

チョコレートやクッキーなどのありふれた手土産より、

 

若い女の子が欲しがるような化粧品の方が良いと思い、

 

毎回、マツモトキヨシのようなドラッグストアで、

 

コラーゲンパックや、シミ取りクリームや、美白乳液など、

 

いろいろ買って彼女たちに渡しているのだが、

 

今回の焼肉ランチは、そのお礼なのだという。

 

 

ああ、 楽しかった!