香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

午後のモヤモヤ

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今日は、

 

公務員の友人が、僕の転職祝いだと言って、

 

金鐘(アドミラルティ)の5つ星ホテル、

 

The Upper House(アッパーハウス)の最上階、

 

49階のSakisterraへランチに招待してくれた。

 

素材の味を生かした美味しい料理はどれも絶品、

 

土曜の午後を神の幸せに浸りながら過ごした。

 

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この友人、公務員と言ってもすでに定年していて、

 

毎日暇なので、色々なことにカコつけては、

 

食事に誘ってくれるのだが、

 

彼の退職金の額をきいてびっくりした。

 

400万香港ドル(約5,500万円)だってーっ!

 

それに、毎月30万円ほどの年金が、

 

死ぬまで支給されるとか…。

 

どっひゃー!これ全部、国民の税金です。ハイ。

 

 

もちろん、90年代に法が改正され、

 

それ以降に入職した公務員には、

 

退職金や年金は支給されなくなったが、

 

イギリス領時代に入った公務員には、

 

旧制法が適用されているのだという。

 

 

それを聞いて、ご馳走になることに、

 

なんら罪悪感が無くなった僕は(笑)、

 

大いに食べ、大いに飲んだ。

 

 

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この友人、いまは、コーヒーの学校へ通ったり、

 

パン作りの講座を受講したりしている。

 

そんな悠々自適な話を聞いているうち、僕の中で

 

なんだか、モヤモヤするものが出てきた。

 

 

「こいつ、人生うまくやりやがってーっ」 

 

「ゆるゆる公務員がこんな待遇、ズルすぎる!」

 

「民間企業で働いている自分がバカみたいだ」

 

怒りまではいかないまでも、嫉妬や羨みのような、

 

なんか腑に落ちない思いが出てきたのだ。

 

 

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それで、

 

家に帰ってから、自分の本音に向き合った。

 

結果、自分もこの友人みたいになりたい、

 

と思っていたことに気づいた。

 

自分の本音は、十分な金銭的豊かさがあり、

 

何の制限も受けることなく、悠々自適に、

 

起きたい時に起き、寝たい時に寝て、24時間を、

 

自分の為だけに使って生きていきたい、だった。

 

 

そして、そうなれることも確信した。

 

どうやってそうなるかは考えない。

 

僕の仕事は、ただ本音の自分を明確にすること、

 

それだけなのだ。

 

 

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👆 ここはトイレです

 

 

誰かの言動や境遇にモヤモヤした時というのは、

 

自分の中にも同じ思いがあるのでモヤモヤする。

 

それは、本当は自分はどうしたいのか、

 

を探し出せる大いなる機会でもあり、

 

自分もそうなれるからこそモヤモヤするのだ。

 

だから、きちんと自分もそうなりたい、と認める。

 

それが、抵抗を止める、を実践することとなる。

 

 

 

 

せ、先輩っ!

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毎日、小説を書いている。

 

それも、4作同時進行で書いている。

 

同時進行だと、たとえ1作が行き詰まっても、

 

書けない間に他の作品を書けるので、

 

いつしかスランプから脱出できていたりする。

 

とはいっても、昼間〝オツトメ〟もしているため、

 

平日の夜は特にあわただしい。

 

仕事を終えて夜7時頃に家へ戻ると、

 

それから、ご飯を食べたり、風呂に入ったりして、

 

9時くらいから零時くらいまで書斎にこもる。

 

ネットも、SNSも、テレビも見ない。

 

 

そうやって書斎でパソコンに向かっていたある夜

 

突然、僕が敬愛する三人の作家の気配を感じて

 

ハッとなった。

 

その三人とは、

 

『孽子(ニエツ)』を書いた台湾の作家白先勇と

 

『男の中の半分は女』の張賢亮、そして、

 

『一千一秒物語』で有名な稲垣足穂である。

 

この時、別段彼らのことを考えていたわけでもなく

 

普通に作品の中に没入していたら、

 

いきなり周囲に何かの気配を感じて、

 

「あっ、先輩たちだ」と心の中で叫んだ瞬間、

 

全身にぞわぞわぞわーっと鳥肌が立ち、

 

彼らが本当にここにいるのを感じたのだ。

 

 

そんな感じがした、とか、多分そうだと思う、

 

というよな、そんな曖昧なものではない。

 

ホントに〝彼ら〟がここにいるのだ。

 

 

ちょっと気味が悪い感覚とともに、

 

温かく見守られているような優しさも感じた。

 

三人の名前を呼べば、何度も全身がぞくぞくして

 

彼らの意識が僕の中へ流れ込んでくる。

 

三人ともすでに亡くなっているのだが、

 

彼らから共通して伝わってくるのは、

 

恐れずに書きなさい、というメッセージだった。

 

それは、本当の自分を表現できないのなら、

 

死んだほうがましだ、という確固たる信念だった。

 

 

大先輩たちの応援を受けながら、

 

どんなにゲスでも、どんなにおぞましくても、

 

絶対に自分の本音でないものは書かないと誓う。

 

 

こういうことを書いたら出版してもらえない、

 

こんなことを書いたら皆から何て思われるだろう

 

こういう風に書いたほうが体裁が良い、といった、

 

自分の中の無意識の心の動きに警戒する。

 

 

この時以来、心の中で彼らの名前を呼べば、

 

すぐに全身がぞくぞくしてきて、

 

彼らの気配を感じられるようになった。

 

  

世に自分の作品を残すためでも、

 

また、誰かに読んでもらうためでもなく、

 

ただ、自分を表現する歓びのために書く。

 

 

過剰反応

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怒り、悲しみ、不安、恐怖、を聖霊と一緒に見て、

 

聖霊にこの間違った思いを明け渡しなさい、

 

と奇跡講座では言われるが、これって結局、

 

聖霊と一緒に、思い切り怒り、思い切り悲しみ

 

不安や恐怖に思い切りのたうち回ることだ、

 

と僕は思っている。

 

 

そうなのだ、聖霊と一緒に見る、ということは、

 

これはわたしのものでありまっせーん、

 

これは神の子のわたしとは関係ありまっせーん、

 

ではなく、

 

「むっかつくー、ふっざけんなぁー、この野郎!」

 

「もうだめだ、悲しすぎて生きていけない」

 

「どうしよう、どうしよう、どうしよう、こわいよー」

 

を、聖霊と一緒にとことん味わい、吐き出す。

 

聖霊は、どんなことを言ってもやっても、

 

「サイコー、ウケるぅー、そうだそうだ、いいぞー」

 

しか言わない。

 

その食い気味に全肯定してくる声を聴くことが、

 

明け渡す、聖霊に癒してもらう、の意味である。

 

 

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多分皆さんも経験したことがあると思うが、

 

新しい学校、新しい職場、新しい土地、など、

 

環境が変われば、緊張や警戒心も出てきて、

 

何かと自意識過剰になりがちだ。

 

その過剰反応の仕方は人それぞれだと思うが、

 

僕の場合は、自分のことを何か言われている、

 

という過剰妄想だ。

 

みんな普通に仕事をしているだけなのに、

 

なんかみんなから注目され、

 

意識されているように思えてしまうのだ。

 

なので、新しい職場に移ってからは、

 

仕事中もずっと自分の内側と対話していた。

 

今の僕はすでに、自分との対話が兄貴との会話

 

に直結してしまっているので、

 

結局、兄貴とずっと喋り続けていることになる。

 

そして、その間は背後側(神側)にいられるので、

 

自分を全肯定していられるのである。

 

 

というわけで、あんまり仕事をしてる感覚がない。

 

神に繋がっていることと小説だけの毎日である。