↑ 東京と言えば新宿、新宿と言えば藤圭子、
これはどんなことがあっても変わらない真理なのだ!
東京出張二日目の夜は、仕事を終えた後、
兄弟てっちゃん、さおちゃん、と新宿で食事をした。
先ず、イタめし屋で食事をしながら語り合い、
その後、ホテルのラウンジで、
ウイスキーのロックを飲みながら語り合い、
それから、カフェでワインを飲みながら語り合った後、
椿屋珈琲で朝の5時まで語り合った。
二人は、先日、乙女ののりちゃんが主催する、
カースティンのリトリートに参加しており、
兄弟てっちゃんはその時の事を色々教えてくれた。
彼にとっては、感動のリトリートであったらしく、
特にカースティンが、何かを教えるわけでもなく、
また、コースの何かについて語るわけでもなく、
相手の傍らで、ただ、愛で寄り添っている姿を見て、
リトリートとはこういうものだったのか、
と、はじめて理解できたのだという。
僕も、この〝寄り添う〟という言葉が深く入った。
「これはこういうことなんだよ。」という答えや、
「そうか。そうか。苦しかったね。」
といった慰めも必要なく、ただ、相手の心に寄り添う。
それだけで相手は癒され、自分も癒されてゆく。
ただ、カースティンのコミュニティでは、
聖霊に一致させて24時間動くのが基本らしく、
例えば、掃除をしているときに、
聖霊から別のメッセージが入ってくれば、
たとえ掃除が途中でも止めて別の方へ動いたり、
カースティンなんかも、聖霊からの指示があれば、
リトリートの途中でも眠ってしまったりするらしい。
それでも、最後には、ああ、こういうことだったのか、
という、完璧な聖霊の采配を見せられるのだという。
この話を聞いた時、
アンフィニをやっていた頃の自分を想い出した。
あの頃は、食事するレストランひとつ選ぶのにも、
本当の自分に一致させ、100%のワクワクで動く。
例えば、予約していたホテルの部屋に入って、
ここは100ではないと感じたら部屋を変える、とか。
もしそのとき、
変更不可だったらどうしよう、追加料金はどうしよう
というのが出てきたら、それを手放して統合する。
僕の場合は、聖霊に繋がると、
全てが100%聖霊の世界になってしまうので、
何を見ても、そこに感謝と愛と無罪性しか見れない。
その中では、誰が何をしていても実相の反映となり、
従って、聖霊に一致〝させた〟結果、
掃除を止めるとか、シェアの途中で眠ってしまうとか、
ホテルの部屋を変える、などということは、
僕には絶対にあり得ない。
なぜなら、掃除を最後までやり遂げたとしても、
選んだホテルの部屋で金縛りに遭ったとしても、
やはりそれも、完璧な聖霊の采配だと知覚されている。
それに、聖霊に訊く、ということは、
訊いている個の自分がいる、ということになる。
ていうか、上記のような訓練は、
アンフィニで散々やってきたようなので(笑)、
もう今の自分には必要なく、卒業だと思っている。
それと、
個の自分を手放し、徹底して聖霊に訊いて動く、
というカースティンのコミュニティのやり方は、
契約と個人主義が徹底され、他者に問題があるとする
他責型の人が多い西洋社会では、
有効なメソッドなのかも、と思ったりする。
しかし、例えば、
自分に対して機嫌の悪そうな態度を取られた場合、
ひょっとして自分のせいなのか、と思ってしまうような、
自責型の日本人が彼らと同じようにすると、
聖霊に一致して動けない自分を責めてしまい、
頑張りすぎてへとへとになってしまう。
どちらが良い悪いと言うのではなく、
奇跡講座は基本的に西洋で出版され、
西洋人向けに書かれているので、
なんでもかんでも、そっちに合わせてしまうと、
シンドイ思いをする羽目になる。
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まあ、これも、又聞きの話なので、
僕が誤解している部分も多々あると思われ、
今後は、それぞれが、それぞれのプロセスの中で、
ちゃんと修正が起きてゆくのだろう。
で、朝五時頃、
新宿の駅でふたりと別れ、ホテルに戻った。
その後、三時間くらい眠って、成田空港へ向かった。
今日から上海。
大金を動かしに行く。