もうすでに、大陸の会社や工場は旧正月の休みに入り、
香港も、2月2日から9日間の休みに入る。
通常、財務部は、
月初の5日間で前月の月次をまとめねばならないため、
今回のように、月初に祝日が続くと、
月末の31日が戦場と化す。
それに月末はフィリピン出張が重なるため、
今週は〝根性〟の一週間となりそうだ。
とまあ、見えている映像を臨場感をもって表現すれば、
だいたいこんな感じになるのだが、
もうこの世界を越えてゆく、と決めて以降、
〝ただそこを通り過ぎるだけの人〟となっている。
↓ 一年前の今日、こんなことやってました ↓
また、
神はこの世界を認識しない、という姿勢を貫くことが、
Jのように、正しいハートの声を聞くことであり、
ハートの声は沈黙と静寂を通して受け取ることができる。
どんな夢見も、それは実存しないが故に認識できない。
神と神の子だけを実存とする姿勢を妥協なく貫くことで、
ハートの声を聞きとってゆく。
僕はいま、やっとそのスタートラインに立てた気がする。
↑ デイヴィッド、フランシスと(2016年11月撮影)
このとき、痩せよう、と決心する。
愛(真の自己)は悦び(ハート)を通して平安(神)を得る。
愛と悦びと平安は、同じひとつのもの(神)であった。
これ以外を認識する必要はない。
ちょっと前まで、コースは心の中の赦しだけを扱うのに、
フランシスはどうして、家庭も、事業も、全財産も、
手放す必要があったのだろうと疑問に思っていたが、
なんのことはない、そうすることが必要だったのではなく、
本当に要らなかったから手放したのだ、と今なら解かる。
彼女にとってみれば、この世の幸せなど、
何の意味も為さないことだったのだ。
↑ お昼はヤムチャへ行き、みんなで鳩を食す
そんな中、
東京から、(元)コンババ部長が出張してきたので、
夜、みんなでご飯を食べに行った。
そこで、誰々さんがどーしたこーした的な話題になり、
普段、そんなことはないのに、この日はなぜか、
強く他者を批判し、攻撃したい想いが沸々と湧いてきた。
だが、
想いが湧いてこようがどうしようがどうでもいい。
沸々と湧いてくる想いすら実存ではないと智っている。
実存でないものは真の自分に所属するものではない。
真の自己へと戻り、ハートと直に向き合う。
夢の世界の自分や他者が何をやっていたとしても、
真の自己は決して脅かされない。
沈黙の中で、そこだけに留まる。
真の自己(ハート)から見ると、
どの兄弟も無実でありキリストである。
兄弟全ての内に自分と同じ神の聖性が宿っている。
なので、もうどの兄弟をも、罪の牢獄には閉じ込めない。
そう決心すると、人を批判したいという気持ちも、
自分や兄弟たちを牢獄から解放するためのものとなり、
愛そのものだったことが解かる。
↑ 夜は台湾しゃぶしゃぶ
ここのところ、ハートと向き合う毎日が続いている。
これからは、現実の出来事や兄弟を通してではなく、
直にハートと向き合ってゆくこととなる。
それでも、静寂と沈黙の中でハートの声を聞くには、
まだまだヨチヨチ歩きのボクではあるが、
そうやって、少しずつ天国に慣れてゆく。
父が待つ故郷へ戻る準備はすでに始まっており、
時間はまさに、そのためだけに使われることになる。