映画『アメイジング・ジャーニー』が、
WOWOWシネマで再放送されていたので、
PCにダウンロードし、上海へ向かう飛行機の中で観た。
今回、二年前に見た時とは全く違った気づきを、
この映画から受け取った。
「明日、ここに植えたい特別なものがあるの。
だから穴を掘り、周りの植物の根を掘り起こす。
あたらしいものの邪魔になるから。」
聖霊役のサラユーが、美しい花々が咲く花園の一部を、
鍬で掘り起こすシーンで発したセリフは、
香港というアイデンティティを手放そうとしている僕に、
新たな勇気と感慨をもたらした。
その他にも、
「神から離れる自由が人間にあるなら、悪は入り込む。
だから、私達と一緒の方がうまくいく。」
「人間が神を演じようとするせいよ。
そんな存在じゃないのに…
このカオスなお花畑自体があなたよ。」
「パパ、俺はあなたを責めてた。謝ります。」
「周囲を見回して。道のりを楽しむのを忘れないで。」
当時は素通りしていた言葉が、ズンズン胸に迫る。
この日は、乱気流で飛行機が始終、激しく揺れていた。
そのため、機内サービスが何度も中断された。
そして、機体が一瞬、下へすとんと落ち、きゃーっ、と、
機内で悲鳴が上がった瞬間、
決して咎めない聖霊の優しい愛の感覚が、
僕の体内に、パッ、と入って来て居座ったのを感じた。
これまでどこか別の場所にいた決断の主体を、最近、
自分の肉体の内部に感じるようになってはいたが、
その決断の主体の中にある聖霊(正しい心)の部分が、
常に僕と一緒にいて、行動を共にしてくれていることを、
このときはっきり自覚したのだ。
聖霊はいつも一緒にいて、僕の呼び声を待っていた。
そして、いま、聖霊兄貴が、溢れるような悦びと共に、
僕の中で飛び跳ねている。
聖霊と一緒に世界を眺め、彼と一緒に世界を赦してゆく。
そこには、咎めたり、裁いたりすることは一切ない。
パパやサラユーたちのような穏やかな愛の存在を、
自分の中に発見して、それからはずっと〝そこ〟にいた。
これは僕の私見だが、
乱気流で機体が急降下した一秒ほどの間、
僕の心が一瞬真空状態となり、思考が止まったので、
その隙をついて聖霊が入ってきたのだと思う。
飛行機を降り、タクシー乗り場へ向かう際も、
いつもなら、少しでも早く、と気ばかりが急くのに、
今回は、聖霊を通じて観る世界の中でたゆたっていた。
タクシーの中から、
雨に煙るバンド(外灘)の街並みを眺めていると、
2年前の上海事務所事件のことが思い出されてきた。
当時は、兄弟に無実を差出すのが精一杯だったが、
今は、決断の主体へと当時の自己と他者を引き戻し、
ひとつの意識が自他に分かれてやっていた
罪悪感を題材にした一人会話だった、
ということが、ありありと認識できる。
ひとつの意識で被害者と加害者をやっているので、
それは入れ替え可能であり、ここで赦さなければ、
次は自分が相手に入れ替わるだけのことである。
↓ 上海事務所 恐怖の松居一代事件はこちら ↓
「こんなことを自我の僕はやっちゃってたよぉ。」
と聖霊に話しかけると、聖霊はすかさず、
「分離は起こってないよ。だからそれは起こってないよ。」
「お父さんは今も一緒にいるよ。君は天国にいるよ。」
「こっちだよ。こっちだよ。」
と再生速度を5倍くらいにした声で語りかけてくる。
その後も、次々と脳裏に〝ふっ〟と浮かび上がってくる、
それ以上でもそれ以下でもない過去の出来事を、
決断の主体に戻して聖霊と一緒に観るたび、
聖霊は同じ答えで優しく僕を包んでくれるのだった。
そして、タクシーが目的地へ到着する寸前、
「私を発見してくれて、そして、頼ってくれてありがとう。」
という聖霊の感謝の波動が伝わってきた時、
僕は感極まって泣き出してしまった。
「大丈夫?どうかした?気分でも悪いのかい?」
と、運転手がミラー越しに声をかけてきた。
「ううん。大丈夫。幸せで泣いてるだけだから。」
僕はそう答えて、タクシーを降りた。
扉を閉める寸前〝一路順風(良い旅を)〟という、
運転手の声が聞こえた。
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