上海は、終日篠つく雨だった。
気温も摂氏6度で底冷えがする。
上海に滞在中も、ずっと聖霊が自分の内部にいて、
一緒に行動を共にしてくれている感覚の中で過ごした。
自分が誰かを咎めようとしたり、裁こうとしたり、
喪失感にびゅんびゅんしそうになったとき、僕の体内で
「それでも大丈夫だよ。君は天国にいるんだから。」
と囁く優しい聖霊の声にずっと耳を傾け続けた。
そうやって、何をも咎めない〝兄貴〟のような、
凛とした愛の存在が、波動のように延長され、
拡がるのが実感しながら、仕事をこなしてゆく。
銀行では、もろもろの諸手続きを行なう。
会計事務所の人が来て、手続きを手伝ってくれた。
いつもは女性だが、今回は男性だった。
ネットバンキングが使えなくなっていたので、
担当のマネージャーを呼び、調べてもらう。
結果、中国銀行のプログラムが邪魔をしているとかで、
パソコンの設定を変えてもらうと、直った。
その後、
証券会社で株の残数を確認し、本日の仕事は終了。
ホテルにチェックインする。
銀行も、証券会社も、ホテルも、上海事務所も、
全て、半径300メートル以内の地区にあるため、
雨の中タクシーを拾う必要もなく、本当に助かる。
仕事中も、聖霊はずっと僕の中で、僕と共にいてくれた。
決断の主体と、聖霊が、肉体の中で合わさっている感じ。
幻想の世界で聖霊と一緒に行動しながら、
外で起こる出来事からくる〝個の想い〟に対して、
自分がどう感じているかを観察し、びゅんびゅんすると、
聖霊が、大丈夫、それは起こってないよ、と優しく囁く。
やがて、兄弟を咎めず裁かない聖霊の眼差しが、
僕の眼差しとして見え始める。
聖霊に導かれる、とはこういうことか、と思う。
これはどうしたらいいですか、と逐一聞く必要もない。
僕が聖霊と一緒にいる実感が答えとなる。
それでも、ふとしたときに、聖霊を忘れる瞬間がある。
ホテルの部屋で、仕事のメールをチェックしていたら、
会計事務所から送られてきた総勘定元帳の中に、
ある部材メーカーへの前払い金が、
1000万円ほど残っているのを発見した。
これは、
請求書より多くお金を払ってしまっている事を意味する。
僕はよく、同じ支払いを二回してしまうミスをするので、
ぎょぎょっ、となる。心臓がバクバクと高鳴る。
なんと言っても1000万円である。
そんな時、僕の内部で聖霊が動いた。
このバクバクを決断の主体まで引き取り、
これは神から離れた自分に罰が与えられるという、
ひとつの意識がやってるひとり芝居をストーリー展開して、
投影しているもので〝ここだけでやっている〟と静観しつつ、
分離は起こってない、だから神の国の平安を選べる、
もう自我を信じる必要はない、と、
聖霊の方へぐぐっと入ってゆく。
結局、ヘンな支払いがないことを銀行の出納帳で確認し、
再度の調査依頼を会計事務所に入れた。
要するに、間違いは選び返せばよいだけの話である。
僕達には、
自我なんかいらない、と、選び返せる場所がある。
例えて言うなら、男の僕がお風呂屋さんに来て、
一体この中はどうなっているんだろう、と、
女風呂へ入っていった途端、中の女性たちから、
石鹸や、タオルや、罵声を浴びせられ、
はい、わたしが間違ってました、すみませんでした、
と、男湯へ選び変えて入って行くのと同じなのだ。
( ↑ この例え、絶対に違うと思う from 全読者)
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