👆いつも昼にお弁当を買うお弁当屋さん 👆
料理に心がこもっていて、愛を感じる
昨日の記事で書いたように、自分責めをしなくなると、
自分の内部で聖霊兄貴が始動(指導?)を始める。
最初は、聖霊兄貴が頼もしい友人のように感じられるが
最後は、聖霊兄貴こそが自分だったみたいになってゆく。
僕の聖霊兄貴への繋がり方は至って簡単である。
「聖霊のガイダンスに従いながら、なんちゃら…」とか、
「罪悪感を聖霊と共に見て、かんちゃら…」とか、
「正しい心の部分である聖霊に委ねて、どうのこうの…」
といった、そんな仰々しい修行のようなものではなく、
これまで独り言のように心の中で呟いていた事柄を、
聖霊兄貴相手に呟き続ける、ただそれだけである。
「何で俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ、
兄貴、もう、勘弁してほしい。」
「あいつ嫌い、死ねばいい、兄貴何とかしてくれ。」
「あいつの言ってること、絶対におかしいと思う。
そうだよね、兄貴。」
「あーあ、仕事でミスしちゃった、メチャ落ち込むよー、
それに、ここぞとばかりに攻撃されるし、ムカつくわぁ。
兄貴、もうこんなのうんざり、どうしたらいい?」
今ではもう少し、マシな会話になっているとは思うが、
初期の頃は、まあ、こんな感じだった。
心の中に始終湧き上がる思考の呟きを、
兄貴に語りかけるような形式に変えて話すのだ。
それはまた、幼少期の子供が、自分で作り上げた、
架空の世界の人物と話をするような感じに似ている。
👆 見た目はイマイチだが、味はバツグン 👆
ちなみに、白いご飯はほとんど食べない
そうやって、友人とくだらない話をするように、
日常の中で湧き出す想いを兄貴にシェアしていると、
やがて、何かの拍子に、パッ、パッ、と、閃きのごとく、
兄貴から返答が返ってくるようになった。
「そんなの、本当にあるわけないじゃん。」とか、
「まあ、何とかなるでしょう。」とか、
「それは、他人に扮して現れた過去のアンタだよ。」
というようなメッセージが、パッ、と下りてくる。
やがて、
自分が聖霊兄貴そのものだったという気づきが起こり、
聖霊兄貴へ意識の移行が始まる。
聖霊に耳を傾ける、聖霊に訊く、というのは、
生身の人間と普通に世間話をするように、
聖霊と普通に話をすることだ、と思っている。
最初は、くだらない世間話であっても、
次第に会話は、神的な内容を帯びてくる。
こうやって、思考のおしゃべりも、
聖霊との聖なるコミュニケーションとなる。