〝二時間並んで買えたマスクがたったの7枚!〟
〝彼女がウラで、私の事をあんな風に言ってたなんて〟
〝今日着て来たこの服、ちょっと失敗だったかも…〟
〝この事をあの人に知られたら、またなんか言われる〟
〝今月の支払いどうしよう。第一私の給料は安すぎる〟
僕たちは、
何かしら〝モヤモヤ〟しながら毎日を生きている。
これが自分の人生を一変させるような一大事だったら、
何はともあれ、腰を据えて赦そう(解決しよう)とするが、
上に書いたような不快感は、もう普通になりすぎて、
「ま、そのうち…」と普通にスルーしてしまいがちだ。
しかし、こういった〝スモールモヤモヤ〟こそが、
僕達がいかに狂っているかを知るためのカギとなる。
前回の記事で、あるドキュメンタリー映像を紹介した。
87歳で認知症のママリンは、自分が囚人だと思っており
一体自分は刑務所に入るようなどんな罪を犯したのか、
と、何度も何度も自分の娘に問い続ける。
その都度、娘が、ここは刑務所ではなく、自分の家で、
ママは囚人でもなんでもない、と根気よく教える。
しかし、娘が質問にひとつ答えるたびに、
「ここはどこ?あんた、だれ?」とママリンは聞き返す。
そのたびに娘は 「あなたの娘の章子です。」 と答える。
さっき、ご飯を食べたばかりなのに、まだ食べてない、
と駄々をこねる認知症の老人を見て、
もうちゃんと食べましたよ、と微笑みながら言えるのは、
僕たちが、それは真実ではないことを知っているからだ。
これと同じで、大嫌いなあの人が私を攻撃してくるーっ、
と苦しむ僕たちを見て、それは起きていないよ、と、
微笑みながら平然と聖霊兄貴が言えるのは、
認知症の老人に対する僕たちのスタンスと同様、
本当に起きていないと分かっているからなのだ。
要するに、
「また、あの人から、嫌なことを言われた。」
と、日常生活の中で僕たちがモヤモヤするのと、
「自分は刑務所に入るようなどんな悪いことをしたのか。」
とママリンが思うのは、
全く同じレベルのことを言っており、
どちらもただの思い込み(認知機能障害)である。
「あなたの考えることは何から何まで間違っていて、
全部ズレまくっているので、もう、一切、金輪際、
考えていることを本当だと思うことをやめなさい。」
と、聖霊兄貴から警告が入る。
考えることを止める、のではなく、
考えていることが本当だと思い込むことを止める、
というのがミソで、考えを止めようとすることよりも、
考えていることは、認知症の症状が出ているのだ、と、
見破ることが先決なのだ。
僕が軽度の認知症である父と話しているとき、
父が、頭の中で思い込んでいる妄想の方ではなく、
僕が言っていることを信じてくれたら、
父はどんなに楽で平安だろうか、と思うのだ。
これと同じことを兄貴も思っている。
〝あなたが考えていることは何から何まで全部、
トンチンカンでズレているのだから、
それに気づいた時点で、こちらに一切任せなさい〟
と…。
イラっとする上司にイラっときたとき、
忙しすぎて頭がくらくらするようなとき、
子供の生意気な態度にカッチーンッときたとき、
こんな自分はダメダメダメ、とヘコみそうになったとき、
あ、これって、認知症の症状が出ているんだな、
と〝認知〟してゆくのだ。
正気への第一歩は〝認知すること〟から始まる。