香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ゴーッ!



わたしに売れない、家は、ありませんっ!

じゃなかった、

わたしに赦せない、エゴは、ありませんっ!ゴーッ!

(って、ちょっと違うような…。)

(ドラマ『家売る女』の北川景子の言い方で…。)


ここ数日、僕の赦しのマイブームとして、

攻撃の妄想が浮かんで来たり、

何か言われて怒りが込み上げてきたり、

意識が過去の記憶に入り落ち込みそうになったときなどに、

「エゴは実在しない、故に〝これ〟も実在ではない。」

と強く宣言した後「ゴーッ!」という一喝と共に、

聖霊兄貴にこの間違った想いを明け渡す、

というやり方を実践している。


また、第二パターンとして、

「神は実在する。故に神の子の自分も実在する。」

というのもある。

こう宣言すると、すでにここに在る天国が戻ってくる。


人は一日中、なんやかや過去の事を考えているので、

(エゴの事をかんがえているので)、

今日だけでも200回くらい〝ゴーッ!〟したと思う。


最近では、この〝ゴーッ!〟だけで、

聖霊と在る=今に在る=天国(ハート)に在る

へ、ビキーン、と照準が戻る感じになってきた。

ということで、話は変わって、高畑裕太容疑者である。

出張から帰って、早速、お母さんの記者会見を見た。

ちょっと芝居がかってると言われればそう見えるが、

「自分の息子の情状酌量よりも、

 被害者の女性が実の娘だったらという気持ちを持ち、

 対応して行こうと思います。」

と、終始、真摯な態度にあふれた会見だった。

やはり、売れたのが40代になってからということで、

他の二世タレントの親と違い、

常識やものの考え方が、僕たちの感覚に近い。


こういう事件を見ていて必ず出てくるのが、

あのとき、なぜ、欲望を抑えられなかったのか。

こんなことをすればどういうことになるのか、

本人は自覚しなかったのか。

なぜ、周囲は気づいてやれなかったのか。

親の育て方が間違っていた云々、という考察である。


でも、無意識状態でエゴを選んでしまっている時点で、

もう、個の自分で何とかできる話ではない。

今回の事件も、本人の意志でやったように見えるが、

厳密にいえば、ただ、

〝ふっ〟とやってきた設定に、

〝ふっ〟とやってきた欲望が反応して、

〝ふっ〟と行動に及んだだけだ、と言える。

それがやってくる根源に、個の自分の意志はない。

ベールの向こうで〝罪と罰〟を選んでしまった心が、

〝ふっ〟とこれらの設定を投影しているにすぎない。


みんな、自分の頭で考え、決断して、

運命を切り開いているように思っているが、実際には、

〝ふっ〟と上がってきた考えを、自分が決めた、

と思い込んでいるだけだ。自分では何も決めてない。


明日の朝は何を食べようという考えがふっと浮かび、

トーストにジャムを塗って食べよう、

というアイデアが主体もなくふっと上がってきて、

そう言えば、ジャムを切らしてたからバターにしよう、

という判断が脳裏にふっと浮かんできている。

ようくようく想いの出どころを観察してみれば、

なにひとつ自分で決めていないのがわかる。



そういう意味で、今回の事件は、与えてから奪い去る、

というエゴの常套手段を見せられているようで、

とても興味深かった。


また、

無意識の心が、ベールの向こうで何をやっているか、

どういうカラクリでエゴを選択しているのか、

そして、それをどう選びなおしてゆくのか、

ということを知っておくのはとても重要であると、

この事件を通じて、感慨を新たにした次第である。


この起きては消えてゆく物語の中で、

ぎりぎりまで追い詰められた裕太被告が、


「もう自分ではどうすることもできない。

 もうどうなってもいい。コーサンだ!」


と、別の何か大きなものに委ね切る態勢が整った時、

聖なる何かが動き出し、奇跡の導きが始まるのだろう。


しかしまあ、こうしてテレビを使い、

楽しく同じものを赦してゆけるのは本当に有り難い。