今日は一日中書斎で過ごした。
留学していた時に自分で作った広東語やベトナム語の
会話集ノートを見ながら語学の復習をしたり、
小説の新作プロットを作ったりして過ごした。
僕は一人で家にいるのが大大大好きなので、
自分の部屋だけは、少々お金をかけても、常に快適で、
居心地のよい空間にしておきたいと思っている。
そのため、チョイ姐に来てもらったり、
インテリアや間接照明にとことんこだわったり、
不用な物を捨て、部屋にモノを置かないようにしている。
ここのところ、
認知症シリーズが続いているが、まだまだ行くぜいっ!
日頃、僕たちがイラついたり心配したりしていることは、
全て認知症の症状だ、ということである。
〝なんでアイツだけ昇進するんだ。モヤモヤ…〟
〝なぜか自分だけ無視されている。ドキドキ…〟
〝頭痛いって言ってるのにメシ作れって?ムカムカ…〟
〝仕事が見つからなかったら破滅だ。ゾワゾワ…〟
これって聖霊兄貴から見れば、認知症の人が、
〝アイツがいつもオレの財布から金を盗みよる。〟
〝妻が味噌汁に毒を入れてワシを殺そうとしている。〟
〝夫が息子の嫁と浮気をしている。〟
と訴えているのと全く同じレベルに見えている。
僕たちが、認知症の家族に、いくらそれは起こってない、
と言っても本人は全く聞き入れずに反抗するのと同じで、
僕たちもこれと同じ事を兄貴に対してやっているのだ。
現在の医療で認知症を完治させるのは難しいが、
もし、完治するとして、その過程を追ってみると、
自分は認知症だったと気づく👉何も起こってなかった👉
泥棒だと思ってたけど彼は私のお父さんだった👉
自分は彼の子供だったんだ👉よかったあ👉愛と感謝
とまあ、こんな感じなのではないだろうか。
じゃあ、正気に戻るためにどうすればいいのかと言うと、
実践すべきことは二つである。
一つ目は、イライラ、ドキドキ、モヤモヤ、が湧いた時
「ああ、これは認知機能障害なんだ」と察知すること、
そして二つ目は、愛と感謝にフォーカスすることである。
認知症患者の完治した段階が愛と感謝であるのなら、
例えば、家族や友人に、小さな愛や優しさを感じた時、
見知らぬ人から親切にしてもらって有難うと言った時、
部屋の床に反射する木漏れ日に美しさを見出した時、
そこへぎゅーっと焦点を合わせることで正気へ戻るのだ。
本当に起こっていると思っている時には気づかなかった
小さな喜び、ちょっとした親切、それが正気の姿だ。
決して認知症の人を侮(あなど)るなかれ!
彼らこそが、僕らの今の姿を代弁してくれている。
まさに、認知症の人見てわが振り正せ、である。