香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

神様こわい

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👆 会社近くの昼下がり 

 

今日は午後から〝恐怖〟の部門長会議があった。

 

日本サイドでは在宅勤務の社員もたくさんいるため、

 

それぞれがZOOMを使って会議に参加した。

 

スカイプよりサクサク通話できて、資料共有もスムーズ。

 

これなら、テレワークでも全然支障がない。

 

 

こういう大勢が参加する会議の席にあっても、

 

以前のように、人前で他者から攻撃されるのではないか

 

という恐怖から、ガチガチに緊張することはなくなったが、

 

それでも、自分の発表の順番が近づいてくると、

 

〝ちょっとドキドキ〟くらいはする。

 

こんなとき、今、この瞬間に在る神を思い出せば、

 

「ああ、自分は今、神にドキドキしている」と解かる。

 

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👆 街の薬局屋さん 

 

今、この瞬間に在る神の中にいることを自覚する前は、

 

恐怖や動揺や怒りを感じるたび、それらは幻想であり、

 

起こっていないのだから、聖霊兄貴に全て明け渡して

 

神の愛を思い出させてもらおう、という感じでやっていた。

 

なんていうか、

 

恐怖や動揺や怒りといった、自分にとって嫌な感情と、

 

神の愛の想念とは全くの別物だとして扱っていた。

 

 

しかし、今、この瞬間に在る神の中にいると、

 

神の子の自分が感じられるものは〝神〟しかなく、

 

逆に言えば、神以外のものを感じることができない。

 

なので、たとえそれが恐怖や動揺や怒りであっても、

 

本当は〝神〟の想いを感じているのであり、

 

〝それは神でしかなかった〟ことが理解できてくる。

 

しかし、こういう風に書くと、また僕たちは、

 

怒りや恐怖も神の愛だと感じられるようにしてください、

 

と、やってしまったりする。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

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だが、自分の本性は神の子である。

 

その神の子が、怖がったり、緊張したりすることに、

 

いったい何の問題があるというのか。

 

よく見てみると、僕たちは、恐怖している対象にではなく、

 

〝恐怖していること〟自体を恐れている。

 

その〝怖いという感じ〟のみを恐れている。

 

そして、

 

その怖い感じの正体こそが〝神の気配〟である。

 

要するに、僕たちは神を恐れているのである。

 

本当は神を恐れているのに、

 

別の何かを恐れているように思っている。

 

つまり、神を恐れながら、神の愛を感じさせてください、

 

とやっているわけなのだ。

 

 

なのでもう、

 

神認知症である自分にできることなど何もないのだから

 

恐怖や怒りが出てきたら、

 

「ぎゃあぁーっ!神、こわいーっ。」

 

「ひぃーっ!父に殺されるぅーっ。」

 

とまあ、とりあえず、ことあるごとに、それは神だ、

 

と自覚しながら怖がっていればいいのではないか。(笑)

 

そうすることで、次第にアホらしくなってきて、

 

神の子が神の想念を恐れることはない、と解かってくる。

 

その視点に立てば、神の子の自分がやることの中で、

 

ダメなものは何ひとつなく、攻めるようなものもない。

 

 

というわけで、ああ、今日もよく働いた。

 

明日一日頑張れば5連休、おうちにいよう週間…。