例えば…、
お金がないからやりたくない仕事をしている、
愛情を失いたくないから家庭生活を続けている、など、
それを失わないためにどういう言動を取ればいいのかを
僕たちは意識のうちに選択して行動している。
そうやって毎瞬、自分ではない選択をしているのは、
失うことを恐れているからである。
ある意味僕たちは、恐れることで安定していられるのだ。
しかし僕たちは、
お金や愛情を失うことを恐れているのではない。
本当は、神を失うことを恐れている。
だが、神は失われてなんかおらず、それどころか、
ずっと僕たちから片時も離れることなく、ここに在った。
恐れの正体が神なのなら、
僕たちは、神以外を感じることはできないのだから、
安心して恐れていればいい。
だが、最初からむりくり、この恐れは神なんだあーっ、
とやる必要はない。
種を撒いたばかりで、いきなり花は咲かないのと同様、
時が来れば、それは愛だった、と必ず理解が起こる。
ただ、敢えて、神の愛を感じるためのコツを挙げるなら、
今、この瞬間をできるだけ心地よくしてやることだ。
今、この瞬間の心の状態を極力穏やかにしてやること。
明日の仕事のことを考えてドキドキしていたり、
過去に負った心の古傷がズキズキ疼いたとしても、
その思いがふと浮かんできているのは〝今〟である。
故に、それらの解釈を取り下げるのも〝今〟しかない。
だから、自分の部屋にアロマを焚いたり、花を飾ったり、
おしゃれな昼下がりのカフェでお茶を飲みながら、
僕のおしゃれカリスマブログを読んだりして(👈アホ)
少しでも、今のこの空間を〝いい感じ〟にしてやる。
それが神への呼び水となる。
とまあ、そんな感じで、明日から5連休に入る僕は、
癒し音楽(乃木坂とか)を聴き、白ワインを飲みながら、
リラックスモード全開で、この文章を書いている。
ああ、神~っ。ぷはー。