香港にまた、不穏な空気が漂い始めている
今、北京で行われている全国人民代表大会に於いて、
香港での中共に対する抗議活動への対応策として
香港での立法及びその執行は、全て中国が直接行なう、
という法案が盛り込まれようとしているのだ。
これまで香港は特別行政特区として民主主義を維持し、
中国でありながら高度な自治を保ってきた。
しかし、この法案が通れば、香港の立法会を介さずに、
中国が全ての法律を決めることができるようになるため、
香港の民主は完全に骨抜きになってしまうことになる。
また、香港に中国政府の出先機関を置き、
その部門が直接、国家反逆者を取り締まる法案や、
YOUTUBE、FB、ツイッター、など、
SNS上の個人の言論を監視するネット規制法も、
同時に審議されるらしい。
この審議は今週木曜に行なわれるのだが、実際、
審議とは名ばかりで、挙手を行なって終わりとなる。
それで、今日は、大規模なデモがあちこちで行われた。
と言いたいところだが、実際には、コロナ対策のため、
9人以上で集まってはいけない、という条例を盾に取り、
集団を作っただけで、催涙弾を発射するので、
みんな、距離を取って、遠巻きに歌を歌ったり、
怒号を上げるくらいしかなす術がない状態だった。
それでも、もう、これらの光景を〝自我〟とは捉えない。
真の前に、催涙銃を持って立っている警官がいようと、
怒号を上げている市民たちが目に映ろうと、
もう神しか見えなくなっている。
警官が神だったら、なんで催涙銃で兄弟を撃つんだ、
と言われそうだが、警官が神なのではない。
うまく言えないけれど、自分の中に神だけが在るのだ。
なので、警官が催涙銃で市民を撃っている、
という解釈ができなくなっている。
いや、もちろん僕自身、
冒頭に書いたような香港の状況は理解できており、
そろそろ香港の生活も潮時なのではないか、とか、
香港ドルの定期を解約して米ドルに替えておくべきか、
といった、
現実的で理性的な判断はきちんと働いている。
しかし、その一方で、
今、この瞬間の神に抵抗せずに見ていると、
やはり、これは消えてゆく夢であり、登場人物も幻想で、
ただ、神の愛と平安が輝いているだけに見えている。
目の前で起きていることが本当に悲惨なのかどうか、
中国共産党が本当に悪なのかどうか、
なんて誰にも分からないし、分かる必要もない。
それは、ただの解釈のひとつにすぎないのだから…。
以前は、愛を求める叫び、に見えていた光景が、
今はもう、神の愛そのものになってしまった。
その光景が神なのではなく、神だけが在るのだ。
この神の見え方〝全部が神の感じ〟を、
僕の文章力で表現するのは、もう無理である。
いつか、順序だてて口頭で話してみたい。