⇑ これってまさに私と聖霊の会話そのもの
このお母さんこそが僕たちの姿だ。
映像劣悪ですがご容赦下さい
元日の香港は数十万人規模のデモで幕を開けた。
今回、僕もみんなと一緒に歩いてみた。
途中、勇武派の光明同盟が募金を募っていたので、
僕も100ドル(1500円)寄付した。
見れば、たくさんの大人たちが寄付をしている。
500ドル札を寄付している人も少なくない。
ほとんどの香港人が民主化を望んでいるのに、
実際には、どんどん真逆の方向へ進んでいる。
自我の世界って本当に奇妙な矛盾に満ちている。
そんな景色の中に神を見いだすうち、
愛が欲しい、が、愛しているよ、に変換されてゆく。
もう、何が起こっても起こらなくても、ここは神の中だ。
日本映画専門チャンネルで、以前このブログで紹介した
『ママリン87歳の夏』を再放送していたので、また見た。
その時、認知症である母と娘の間で交わされる会話が、
狂った自己と、真実のみを語る聖霊とのやり取り
そのものであることに気づいた。
〝刑務所、人殺し、泥棒、罪を犯した自分、捕まる…。〟
母が発するこれらの言葉を、娘は即座にきっぱりと、
食い気味に否定してゆく。
そして、家出、徘徊、迷子は罪ではないと告げる。
僕達もまったく同じ会話を聖霊と交わしている。
つくづく僕達って、重度の神認知症なんだなあ、と、
この映像を見ながら感慨を新たにした次第である。
⇑ 彼らはまだ大学生なんだ
僕たちは意識以前のこと(実存)を全く覚えていない。
神のことや霊(スピリット)のことや天国のことも知らない。
それでも、自分は神に属する存在だ、とは勘づいていて、
それで、何かの拍子に〝普遍で永遠な神の波動〟
が上がってきたりすると、それが何かを忘れているため、
得体のしれないものと錯覚して恐怖を覚え、
これらの神の想念をあたふたと封印してしまう。
それは例えば、
明日やらなければならない仕事の心配や、、
子供の受験のことや、両親の介護のことなど、
目の前の現実に没入することで、
得体の知れない神への恐怖を見ないようにしている。
↑ 募金箱が次々お札でいっぱいになってゆく
自我は真実(神)を忘れるために幻想を使い、
聖霊は真実(神)を思い出すために幻想を使う、
とはよく言ったもので、自分を動揺させたり、
苦痛をもたらす現実を目の当たりにしたとき、
見えているものに真実はない、と見抜き、
相手から〝愛している〟という声を聴く。
それが、正気への第一歩となる。
↑ 今回のデモは110万人が参加した。
香港の人口の7人に1人が参加したことになる
喜んでいることが、神を知るということである。
たとえ、相手がどんな行動をとっていようとも、
相手から受け取った愛してるのメッセージを、
ありがとうという感謝で返すことが、
相手を神として認識することである。
そうやって、神として認識された相手こそが、
霊(スピリット)となり、本当の自己として顕現される。