2020-06-13 神依存症 香港 昨日の深夜0時頃、もう寝ようとベッドに入ったが、 なんか寝付けなくて、行きつけのバーへ行った。 なんせ徒歩3分の場所なので、半パンにTシャツ、 財布とケータイだけを持って、ふらりと出かけた。 まずは、いつものようにマティーニを一杯遣った後、 カウンターに山梨の桃が出ていたので、 これで何か作って下さい、と頼んだ。 マスターが桃のマティーニを作ってくれた。 桃と、ジンと、ドライベルモットと、桃のジュースを ミキサーに入れ、それから、桃で作った氷で、 シェーカーを振って桃マティーニが完成した。 マスターは、絶対に日本産の果物しか使用せず、 味が薄くなるので氷も果汁を凍らせたものを使う。 桃だけではなくジンの味もちゃんと生かされていて 絶妙の一杯だった。 と、ここまではよかったが、この一杯で酔っ払った。 訊けば、ジンが45ccも入っているのだという。 そうしないと、味が桃の甘さに負けてしまうらしい。 帰り道も千鳥足、家が近くて本当によかったあ。 家に着き、ベッドに入れば、心臓が血液を送り出す シュッ、シュッ、シュッ、という音まで聞こえる。 でも、自分の心臓の音を聞いていると、なぜか、 安らかな気持ちになり、そのまま眠ってしまった。 というわけで閑話休題、先日も書いたけれど、 僕たちは常に何かに依存しながら生きているが、 本当は〝神〟に依存していた、という話である。 会社、仕事、パートナー、子供、お酒、スピ、など、 依存しているがゆえに、 もしそれらを失ったら、という恐怖から、無意識に、 相手の意に添うような行動を取ったり、また、 相手の意に沿えなかった自分を責めたりする。 しかし、その依存相手をようくようく見てみると、 イヤだイヤだ、と嫌悪しながらも離れらない、 その相手こそが神だった、という発見をする。 依存の対象物が、会社やお酒であるからこそ、 ある意味、安心して依存できていたのだ。 依存していた相手が〝神〟だったと解かれば、 神に依存しても何ら問題はない、と気づき、 ただ、歓んでいるだけいいんだ、となるため、 俗にいう◯◯依存症は消失することになる。 本当は、僕たち、神依存症だったのだ。 blog.hoshitani-shusaku.com