👆 台風通過中。暴風雨の一夜
今週は、月、水、金、の出勤である。
で、今日は在宅勤務であった。
それでも色々資料をまとめたり忙しかった。
夜になって、なんかすごい風雨だなあ、
と思っていたら、台風が通過中だという。
明日は、会社が休みになるらしい。
でも、すでに在宅なので関係ない。
👆 どや!絵、上手いやろ!
毎日、一時間くらい瞑想をしているのだが、
最近すごく感じるのが、
自分の背後に内面(心の中)の世界があり、
その背後をどんどん突き進んでいくと
現実のスクリーンの裏側にたどり着く。
自分の背後の世界と、前方に見えている
現実のスクリーンの裏側が、
ドーナツの筒のように繋がっており
例えば、背後の世界(内面/心の中)で
愛を感じれば感じるほど、
それが背後のドーナツの筒を通って、
前方の現実のスクリーンの裏側から、
自分が発した愛が、ぐわんとにじみ出てきて
スクリーンに登場してくる人や景色が、
とても愛で輝いているように見えるのだ。
本当に、自分のつたない文章で、
この見え方が伝わるかどうか疑問なのだが
自分の前方に見えている世界の中に、
自分の内面(心の中)の想いを発見する。
また、別の角度から見ると、瞑想中、
意識を背後側(内面)へ反転させていると、
真正面に瞑想している自分の姿が見える。
それはちょうど、
他者が自分を見ている視点と同じである。
なので、
内面が変わると外側が変わる、とか
内面で自我を選べば、外に自我が投影され
兄貴を選べば、外に神が反映されてくる、
というのはこういうことか、と納得できる。
僕たちが取り下げた個の想い込みが、
聖霊兄貴によって削除されていくにつれ、
僕たちの内面(背後)にハートが復活し、
神が思い出されてくる。
その神の想いはやがて、背後の筒を通って
前方の兄弟たちや風景や出来事から
自分へ向かって放射されてくる。
その感謝や感動の想いが、再び背後へと
流れてゆく。これが愛の循環なのだ。
自分対世界、自分対他者、といった、
前方同士で世界を見ていた時は、
私とあなたはこんなに違う、
あの人に比べて私は、という比較から、
無価値観や罪悪感が生まれ、肉体同士で
裁いたり裁かれたりして、闘っていた。
しかし、背後同士(内面同士)で見れば、
背後の自分が、他者の視線を通して、
自分を見ているように感じられてくるので、
全部自分が作っているというか、
ひとつの意識だけでやっているというか、
究極自分一人でやっているというか、
自分すらいない、ように感覚化されてくる。
blog.hoshitani-shusaku.com
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背後をぐるりと回って他者へたどり着く。
後方同士で繋がる方向性こそが、
故郷へと戻ってゆく方向性であり、
意識ってこうやって癒されてゆくのだな、
と思う今日この頃である。