↑ 駐禁取り締まり専門スタッフ
制服が茶色なのでコーヒーおじさんと呼ばれる
この二人、一瞬双子かと思った
香港では、コロナ対策のために禁止されていた
18時以降の店内飲食が、今週金曜から、
21時まで営業してもよいことになり、
映画館も再開されることが決まった。
しかし、ジムはまだ再開されないみたいなので、
しばらくダンベルでの家トレは続きそうだ。
今日は、出社して10時-16時の時短勤務である。
僕は、3年前に他社へ売却したフィリピン工場の
財務を引き続き管理しているのだが、
いまはフィリピン工場へ出張できないので、ずっと、
リモートで財務諸表のチェックなどをしている。
それで、今日は、
売却先の会社へ報告する7月の月次報告書を、
〝必死のパッチ〟で作成していた。
損益計算書、貸借対照表、総勘定元帳、と、
乖離のある数字を抜き出して理由を問い合わせ、
ひとつひとつ原因と対策を追及してゆく。
やりながら、ふと、思った。
なんで、さほど好きでもないことを、
こんなにも必死コイてやっているのだろう?
ぶっちゃけ、よその工場の事なんか、
何の興味もないし、何の関心も無い。
それでも、長年やってきて慣れてもいるし、
香港での暮らしや、安定した生活など、
この仕事をすることで、得られるメリットもある。
もう、昨日書いた、
レジ打ちしている聖子ちゃん状態である。
作業に没入しながらも感じる、
いるはずの場所にいない、という違和感…。
したい事と、している事が違う、という不一致感…。
背後の神の流れの中で感じる、
全てが在る感覚とあまりにもかけ離れた、
しっくりこない感じ…。
〝自分が今、
いるはずの場所に居ない、ことは分かった。
したい事としている事が違う、ことも了解した。
その上で、自分はこの職務をちゃんと全うする、
と決めたんだ。
腹をくくり、今は、ここでこれをすると決断した〟
と、決然として〝自分で〟決めた上でそれをやる。
今自分がやっている行為を決して否定せず、
やっている事と、思っている事の矛盾を責めない。
それが、
今の自分に寄り添う最も優しい選択だと思った。
これをする必要があるから、自分はここにいる。
よっしゃ、オーケー、今はこれをやる。
矛盾?違和感?知ってる、でも関係ねーよ。
モヤモヤしながらそれを続けるのと、
全て了承した、覚悟の上でやるのとでは、
表面的な行為は同じでも、
意識の上では、天と地の差がある、と思うのだ。
そんな感じで、午後4時に退勤した。
帰りの電車の中はガラガラだった。
明るい日差しを受け、しばし、車内で瞑想した。
深く背後へと潜り、愛そのものの自分へ戻る。
ああ、もう〝ここ〟で〝これ〟をする必要はない、
どこへ行こうが、全ては背後に在り、
自分は〝それ〟(神/愛)そのものだった。
今回のコロナ禍は、僕を根底から変えた。
あのまま、忙しくいろんな場所を飛び回っていたら、
自分が、レジ打ち聖子ちゃん状態であったことに、
ずっと気づくこともなかっただろう。
本当の意味で、自分への信頼が回復してきている。