👆 シティスーパーのトミカコーナー
今、この瞬間に、背後(見えない世界)で、
父や兄貴と共に在る時間が長くなるにつれ、
過去や未来に右往左往しながら、
前側(頭/思考の世界)で、
無数の肉体と共に過ごすことが、
心底ウソだと確信できる今日この頃である。
「ほれほれ、ここは緊張するところやろ」
「ほれほれ、アイツ、あんなこと言うとるでえ」
「ほれほれ、悲しいなあ、くやしいなあ」
「ほれほれ、お金もう無いで。どうすんねん」
「うわっ、お前、もう、終わってるやん!」
自我の囁きがなぜ関西弁なのかはさておき、
完全に背後の王国がリアルそのものになると、
出来事に反応して出てくる自我の囁きに対し、
あ、これって、自分が思っているのではない、
自分でこう思おうと決断したのでも何でもなく、
ただ、勝手に湧き上がって来てるだけだ、と、
冷静に、クールに、淡々と、認識できてくる。
こんな時、僕はいつも、脱力するように、
冇問題(モウマンタイ)、と呟いてから、
ソッコー背後の兄貴へとモードを切り替える。
冇問題とは、
広東語で「問題ない」という意味で、
〝有る〟という文字の横線二本を取って、
〝無い〟という意味の漢字になる。
買いたかったお弁当が売り切れていた。
人前でしどろもどろになってしまった。
旦那(奥さん)のあの態度、なんやねん。
これらに一体何の問題があるのか、
完全に冇問題(モウマンタイ)ではないか、
自分の中に神がいると、何の問題もないことが
頭ではなく、感覚で理解できてくる。
いま、この瞬間に対する抵抗をやめ、
一旦、この〝愛の流れ〟に乗れば、
案外、その後は自動的に、パパパ、と進む。
とまあ、
そんな感じの毎日を送っているボクであるが、
来週の5連休はやはり、ネットやスマホを遮断し
完全お籠り24時間創作三昧で行くことにした。
しかし、5日間丸々はきついので、
最初の一日にいろいろやりつくし、
残りの4日間を完全お籠りとすることにした。
さ、これからが秋本番、
切なく、秋っぽい映画でも見ながら、
ちょっと物哀しい、秋の夜長を満喫するのだ!