先々週の日曜日、ある女性のコース兄弟と、
ZOOMでシェア会をしたのだが、
彼女もまた、国慶節の時の僕のように、
言いようのない不安と恐怖が、
つぎつぎに上がってくるのだという。
特に、人に対する喪失感がすごくて、
通りすがりの人に対してでさえ、
もうこの人とは二度と会うことはないんだあ、
と思うと、巨大な喪失感に襲われるらしい。
シェアをし合ってゆくと、
国慶節の時の僕の症状と本当によく似ていた。
あの時の僕も、窓から飛び降りそうになるほど、
不安で不安で、苦しくてたまらなかった。
そのときの僕はもう、ベッドの上に大の字になり
何も考えずに不安感を放置したまま、
ただ、みぞおちのビュンビュンを観察し続け、
出るに任せていることで(それしかできない)、
最後、これさえも愛だった、愛しかなかった、
という理解が起きて、平常に回復したのだが、
彼女の場合は、
ずーっと根本まで自分の内側を掘り下げ、
最後は根っこにあった無力感にまでたどり着き、
自分はこんなに神を恐れていたんだ、
ということを認識し、手放せたことで、
その不安感は消え去ったのだという。
また、彼女は、
毎週一回、最も信頼できるコース兄弟と、
心の奥の奥に隠してきた秘密を光にあてる
というワークも行なっているのだと言った。
意識は一つなので、誰か一人に、
自分の根っこにあるものを打ち明けることで、
隠蔽されていた罪悪感を、
一なる源=光へと戻してゆけるのだという。
彼女は僕よりも年長なのだが、
24時間自分の内側だけに向き合う姿に、
ただ、すごいなあ、と思いながら、
話を聞いていた。
どんな人にも、死んでも言えない秘密の
一つや二つくらい抱えているものだが、
それを100%偽ることなく打ち明けるなんて
いやあ、すごい、すごすぎる。
大学時代に付き合っていた女性から、
私たちは愛し合っているのだから、
どんな隠し事も無しにしましょう、
だから、トイレの扉も開けっ放しで、
と言われ、ドン引きしたことがあったが、
そういう意味で、やはり、僕には無理かも。
(絶対にそういう意味ではないと思う)
故郷への帰還の旅路は人それぞれだが、
少なくとも僕はもう、修行をするみたいに
スピの実践をやることはないな、と思っている。
誰かのコミュニティに参加することもないだろう。
お金を払ってセッションを受けることもない。
僕がすることは、ただ、
今、もうすでにここに在る神の愛を感じて、
キュンキュンしているだけである。
特に何かをしなくても、もう愛の中にいる。
それに気づくために、赦しや、学びや、実践が
必要だったのだな、といまは思う。
そして、これからも僕の旅は続くだろう。
でも、それは、父や兄貴と一緒の旅であり、
内側を外に見て感じてゆく旅である。