今日は在宅勤務である。
通勤時間や昼食代が省け、
ちょっとした私用で出かける事も可能なので、
在宅の方が助かる、と言う人も多いけれど、
僕はやっぱり出社勤務派である。
仕事とプライベートのオンオフがつくし、
仕事帰りにどこ行こうかな、と考えるのも楽しい。
で、昨日、会社の全体集会があったのだ。
全体集会と言っても全部で40人足らずなのだが
僕は香港オフィスからZOOMで出席した。
社長が冬季賞与に関する訓話を述べ、
ひとりひとりに賞与明細の封筒を渡してゆく。
その時、僕は香港オフィスの自分の席から、
PCの画面越しに、この様子を見ていたのだが
一連の集会の間、
全員が起立している事に気付かなかった。
それで、ぼーっとしていたら、いきなり、
「星谷さん、全体集会なので起立して下さいっ!」
と司会者からの声が飛んだ。
はっ、となり、謝りながらすぐに起立した。
以前の自分だったら、みんなの前で恥をかいた、
と、3日くらい立ち直れなかっただろう。
この瞬間のことを、何度もぐじぐじ思い出しては、
みんなからどう思われただろう、と、
何度も自分を責め、不安に苛まれていたはずだ。
だが、今回は、もう、大爆笑。
ああ、全然気づかなかったあー、すんません、
で、終わり。
なんだか、同僚兄弟たちがとても優しく見え、
攻撃される恐怖が全く湧いてこなかったのだ。
集会の後の昼休み、
これってどういうことなんだろう、と考えてみた。
しばらくして、それは自分を裁かなくなった結果だ
という結論に至った。
そもそも、人の目が気になる、というのは、
〝自分が自分を裁いている目〟が気になる、
ということである。
どういうことかというと、
通常、自分一人でいるときは、
自分を裁く目がひとつしかないのに対し、
これが例えば、40人の人の前に出ると、
自分を裁く目が40個もできてしまい、
恐怖や不安感も40倍に増幅されてしまう。
それで、人の目が怖くて仕方がなくなる。
しかし、
人に責められているように見えて、本当は、
自分が自分を取り締まる目に責められている。
それが僕の場合、
一切の自分責めを止める、と決心し、
本当の自分は愛の存在であることを
少しずつ思い出していった結果、他人の目が、
自分で自分の正しさを監視する〝目〟から、
自分を慈しみながら見守る〝愛の眼差し〟へと、
変化していったのだと推測する。
☟ 五年前の12月
まあ今回の〝星谷さん起立してください事件〟は
実際、そんなに大げさな事でもないのだろうが、
僕にとっては、
自分が癒されていっていることを確認できた、
とてもうれしい出来事であった。