香港さんといっしょ! 純粋非二元と奇跡講座を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

罪悪感は神だ!

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昨日は、

 

マッサージと、足の裏の角質取りに行って来た。

 

本当はマッサージ店も終日営業禁止なのだが、

 

僕が通っているマッサージ店は、

 

口の堅いひいき客のみを相手に、

 

こっそり裏で営業を続けている。

 

オーナーに話を聞けば、

 

もし同業者にチクられでもすれば、

 

営業許可取り消しで一巻の終わりだが、

 

それでも営業しないとやっていけないのだという。

 

 

足の角質取りをしてもらうのは3か月ぶりだ。

 

ものすごい量の角質が削り取られて出てきた。

 

自分のものではない過去のカスがそぎ落とされ、

 

身も心もスッキリした。

 

 

続いてマッサージを受ける。

 

今、この瞬間に集中し、全身脱力状態となって、

 

まるで自分の肉体を味わうみたいに、

 

指で刺激される部位一つ一つの感覚を味わう。

 

 

こんなとき、マッサージ師の指によって、

 

細胞の隙間から押し出されて来た思いのカスが

 

現われては消えてゆく様も同時に見送る。

 

宇宙のカス、想いのカス、浮上し消えてゆくカス、

 

肉体って本当に自分の意識の顕れそのものだ。

 

なので、僕にとってのマッサージは、

 

意識の大掃除、想いの断舎離、となっている。

 

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というわけで、

 

最近、爆弾発言が続いている僕だが、

 

もうついでなので、

 

もう一発、投下することにする。

 

 

〝罪悪感も本当は神の愛だった!〟

 

 

僕が毎回罪悪感を感じるたび、

 

その不快感の奥に、どこかキュンとなるような、

 

ハートのエクスタシーと同じ〝愛の塊り〟が

 

疼いているのを感じることがある。

 

以前の僕は、

 

それは分離のエクスタシーだと思っていた。

 

しかし、それがあまりに〝神っぽい〟ので、

 

あるとき、罪悪感が上がってきた際、

 

そのエクスタシーの正体を見極めようと、

 

いっきにその罪悪感の中へダイブしてみた。

 

 

「ザ・イ・ア・ク・カ・ン感じて、るぅーっ!

 

 ひいぃー!ううぅーっ!お、お、おーっ!」

 

 

すると、その毒素のような気持ち悪さの裏に、

 

法悦のようなエクスタシーが流れていて、

 

それが不快感に変換されている様子がうかがえた。

 

まるで、透明なお湯がコーヒーフィルターを通って

 

苦い苦いコーヒーに変わるみたいに…。

  

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そのとき、罪悪ってエクスタシーなんだと思った。

 

ある意味僕たちは、

 

神の想い(ハートのオーガズム)を感じるために

 

罪悪を使っていたんだ、と…。

 

現実の何かが原因で、

 

罪悪感を感じているのではなく、

 

罪悪を感じたい(神の愛を感じたい)がために、

 

きっかけとなる出来事を探している。

 

別の言い方をすれば、

 

神を感じるために自我を使っている。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

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なんかもう、結局僕たちは、

 

神の中にしかおらず、神しか感じられなかった。

  

罪悪感を見るという行為は、ある意味、

 

神を凝視する行為なのだ。

 

だから、罪悪感を嫌っていたのだ、と…。

 

だからもう全部受け入れる。

 

 

罪悪感➔不快➔神から離れている➔絶望➔

 

そんな自分が嫌➔聖霊兄貴➔でもまだ不快

 

 

と、何とかしようとするのではなく、また、

 

聖霊兄貴にただお願い、でもなく、

 

罪悪感をも神として受け入れてゆくのだ。