「なんでこんなこともできないの?」
「もう、何回も言わせないでよ!」
「考えればわかるでしょ!バカじゃないの?」
他者が自分に向かって発せられる声は全て、
自分が日頃、
自分の心に向かって発している声である。
例えば、
お前なんか、ないがしろにされて当然の存在だ、
お前って、人に迷惑をかけてサイテーだな、
お前は、なんの能力もない甲斐性なしだ、
など、
自分が自分に発する、自分を批判する声が、
相手の口を通して自分に伝えられてくる。
なので、
人から大切に扱われていないと感じたり、
相手から攻撃されていると思ったとき、
それは相手がそう思っているのではなく、
普段、自分が自分に同じダメ出しをしている。
なので、あなたは何でこうなんだ、と言われたら、
または、批判されているように感じたら、
自分が自分に同じことを言って責めていないか、
と、自分の内面を徹底的にチェックしてみる。
そのうえで、まずは自分に対して、
自分で自分をボコボコにしていたことを謝る。
本当に悪かった、と、自分に詫びた上で、
本当にありがとう、と自分に感謝を伝える。
後は、お風呂に浸かるもよし、寝るのもよし、
ゆっくり自分をいたわってやる。
聖霊兄貴は、本当の自分の象徴であるので、
自分を責め、自分をないがしろにすることは、
聖霊兄貴を軽視しているのと同じことになる。
聖霊の一部である自分をボコボコにしながら、
聖霊、助けて下さい、
というナゾなことをしている。
しかも、この事にまったく気づいていない。
相手を感謝で観るよりも、まず自分に感謝しろ、
である。
相手を赦そうとするよりも、まず自分を赦せ、
である。
相手を赦すことで自分も赦される、というのは、
他責型欧米人に当てはまるのであり、
自責型日本人である僕たちは、何はさておき、
自分を優しくいたわり、
よいところも、ここはちょっとというところも、
全部受け入れ、全肯定することで(赦すことで)
自分を癒してやることが、何よりも先決だ。
そうすると、
他人なんて放っておいても勝手に変わるから。
自分を優しくいたわってやるって、
他人を変えようとするよりはるかに容易な筈だ。
お金もかからないし、勇気も必要ない。
やってみて、どえらい目に遭うこともない。
だからもう、騙されたと思って、
自分に大好きだと伝え続けてみてほしい。
ここに(ボク!)、これをやって、
嫌いな人が一人もいなくなった人がいるから…。
それが自分を赦した結果である、と、
実際にやってみて証明した本人が言っている。
というわけで、なんだか熱く語ってしまったが、
今日12月18日は僕の誕生日であった。
例年は、
香港人の友人達が晩メシをおごってくれるのだが
コロナ禍の今年は、飲食店も6時で閉店なので、
人数制限の関係もあり、明日の午後、
三人だけでささやかなランチをすることになった。
それでもこうやって祝ってもらえ、本当に嬉しい。
この歓びと感謝を味わいながら、
よかったね、と自分に優しく語りかける。
そして、、愛、感謝、優しさもまた、
自分の内側を通って、
自分の分身である兄弟によってもたらされる。
そのことをしみじみ感じて喜んでいる、
今年の僕の誕生日であった。
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